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「おい…いつまで寝てんだ」

 え?

 メイは、その声に大慌てでがばっとベッドから飛び起きた。

 誰かがベッドの側にいるのである。

 キョロキョロと見回すと、すぐにネクタイのシッポが見えた。
 まだ結んでなくて、ぶらさげたままのそれ。

 見覚えがあるどころじゃない。

 こうやって、いつもネクタイをぶら下げている相手は―― メイは、ばっと視線を上に上げた。

 背広の上着に袖を通しながら襟を立ててネクタイの位置を調整しているのは、紛れもなくカイト、その人だ。

 枕元の買ったばかりの目覚まし時計を見ると、もう彼の出社時間をとっくに過ぎていた。寝坊したのだ。

 あれ?

 寝坊の事実にパニクるよりも、メイは瞬きをした。

 いや、いまが違和感があるワケではない。

 彼のネクタイを締めるのは、いつしか彼女の仕事の一つになっていたし、全然イヤなことじゃなかった。

「何、豆鉄砲食らったような顔してんだ?」

 眉を顰めて、カイトが近付いてくる。

 お得意の彼の表情だ。

 怪訝さと不機嫌さの狭間の色を浮かべて、片膝をベッドにかける。

 そのまま胸を彼女に向けたまま動きを止めるのは、ネクタイを締めて欲しいせいか。

 ようやく責務に目覚めて、彼と同じように膝立ちになると向かい合った。

 あれ…えっと。

 慣れた手つきでネクタイを締めてやりながら、しかし彼女は、瞬きをいつもの倍以上していた。

 目をつむってでも締めることは出来るので、ネクタイ結びを失敗したりはしなかったが。

 きゅっ。

 綺麗に締め終わった後、そのままの角度で彼を見上げる。
 すぐ側に顎があって、視線を感じたのか「ん?」とグレイの目が落ちてくる。

 息がすぐ側にあった。

 ドキン。

 メイは、それを感じて胸が高鳴った。

 動けなくなるくらいの威力がある。