白頭山の残光

 その新聞の日付は、西暦1994年3月11日。その時空の穴は空間の位置だけでなく、時間をも飛び越えて、過去の北朝鮮のどこかに通じていたのだ。
 すぐに研究所全体が日本政府の厳重な管理下に置かれ、私服だが明らかに自衛隊員とおぼしき屈強な男たちが数十人、研究所に24時間詰めるようになった。研究所員は、事務棟での仕事を続ける事は許されたが、サイクロトロンには近づくことすら禁止され、またその件に関しては厳重なかん口令が敷かれた。
 数人の大学院の研究生が事故当時助手として研究所にいたが、彼らは以後研究所から退去させられた。だが、異変に勘付いたそのうちの一人が事の重大さを理解しないまま、インターネットに書き込みをしてしまった。
 美里は在日朝鮮人だったため、真っ先に疑いをかけられしばらく軟禁状態に置かれた。だが情報漏洩の犯人が学生の一人だったと判明したため、東京の本部に呼ばれ、やっと正式に濡れ衣が晴れたばかりだった。