法に救われたというべきか。
確かに連続殺人犯の被害者の血液が付着した衣服が見つかったが、それは“竹山の部屋”でだ。僕には繋がらない。
確かに一般的に考えれば、粘着していた僕のゴミ袋を盗んでいたとも見えるが、法にとって“一般的”というルールはなく、あれはあのままでルールとなるもの。
感情論と理屈を交えず、主観的であり擁護的。数多のもしもを加えることで、僕との繋がりを薄くしてくれる。
あのゴミ袋は僕が言ったとおりにあの豚が用意したカモフラージュかもしれない、もしくはまったく“別の人”たる可能性もある。
僕の物と確固たる証拠がない限り、僕を連続殺人犯とも言えない。どんなに苦渋を舐めようとも。
証明として、この刑事さんは一度も、そのゴミ袋を“柳葉草の物”とは言っていない。
だからだ、こんな回りくどくはめてきたのは。


