見舞いに行っても姉達の様な会話がある訳でもなく、下の世話や甲斐甲斐しく給仕出来る筈もない、時間を費やすのに苦労する程であるが、何となく居心地は良かった。
余り饒舌家でもないお袋と二人だけで居ると何故か会話が途切れ、妙な‘間’ができる。その‘間’は、病院からの帰路何とも得難い思いがつのる。
ある時はお袋のベット脇でうたた寝、お袋も攣(つ)られてか一寝入り、小一時間二人で眠ってしまった事もある。
顔を合わした時のあの破顔一笑が、何よりの歓びだった。
外見はその時の症状や環境・疲労度・心情等により異なるが、真髄は変わらない。

幼い頃からの、お袋との記憶が次々と甦ってくる。
終戦の前年、大本営発表とは裏腹に、戦局が愈々怪しくなっていた頃家族は疎開した。
焼け野原と化した我が家・敗戦後の騒乱、家族そして姉(ねえ)やと共に疎開先での生活であった。