翌1月4日、お袋死去。
訃報は女房が受けたが、退院間も無く静養中の身を案じて
「直ちには行けない」
と姉に伝えた。
数日後 その事を知り怒った。
「俺は喪主の立場だぞ! 何故報せない、当事者の俺が決める事だろう!!」
憤りはしばらく収まらなかった。
死に目にも立ち会えなかった事は、無念であり辛くもあった。
怪我で入院、一旦自宅へ戻ったが病で入院・特養ホーム・病気で再び入院・特養ホームの繰り返しを余儀なくされた4年半、その間 兄貴の死は病の途にあった事から、お袋には報せることは出来なかった。
大阪に住むお袋の許へは、年に一度程度だったろうか。
一昨年の紅白歌合戦の出場曲「吾亦紅」をふと想い出した。
故郷の母への無沙汰を詫びた内容のエレジーであるが、亡き母を偲び切々と歌うその哀歌は、自らの行状と重なった。