1979年3月のスリーマイル島、1986年4月のチェルノブイリは未だ記憶に新しく、世界を震撼させる“未曽有の災害”であった筈だ。
「日本ではあり得ない」
「システム・構造が異なる」
「安全性に関わる技術レベルの根幹が違う」
“安全神話”過信と妄想の作為的な風潮の中で
‘他山の石’として、振り返ることも無かった。
5年・10年・20年・・・孫子の代まで、とてつもない負の遺産を、残してしまった。
そしてその要因は“想定外”に帰着する。
我が身の今日も、まさしく“想定外”の発症で、
過信ゆえの“安全神話”崩壊の結末であろうか。