飛べない黒猫

洋子は家を出た。

祖母を頼り、北海道へ。

好奇の目から逃れる為と、まだ多感な時期の弟を気づかっての事だった。

誰も知らない遠い場所で、子供を産もうと決めたのだった。



生まれてくるのは、どちらの子供でも、もう、関係なかった。



真っ暗な恐怖の中、ナイフで脅され強姦された事も、愛していると誓いあった彼が、それを知った途端、冷たく突き放した事も。

もう、どうでもよかった。


お腹の中に宿っているかけがえのない命の前では、薄っぺらで実感のない幻みたいな出来事に思えるのだ。

不思議な事に、憎しみの気持ちまで、薄れたように感じた。



洋子は自分に芽ばえた母性に驚いていた。


幼い頃、近所の女友達が人形を抱き、母親のまねごと遊びをしていた。
洋子は、おままごとが好きではなかった。

男の子達と虫を探したり、公園で走り回る方が楽しかった。


子供心に、女の本能が強い方では無いと思っていた。


だが、今、妊娠を期に、生まれ持った母性が急に目覚めたようだ。
お腹をさすりながら、母親になる喜びを感じている。





祖母との穏やかな生活の中で、大きく育つ我が子を愛しみながら洋子は出産の時を迎えた。


生まれた我が子は、元気な男の子だった。
洋子そっくりの美しい顔立ちの。

深い緑色の瞳と、ブロンドがかった赤毛は、絵画から抜け出してきた天使のように愛くるしかった。


なかなか産道がひらかず、微弱陣痛が続く難産だった。

気が遠くなるような痛みだったが、その子の顔を見た途端、全ての苦痛がすうっと流れ落ち、幸せで胸がいっぱいになった。

柔らかな頬にそっと触れる。


“一緒に祝ってくれる人はいないけど、もう、ひとりぼっちじゃない。
あたしはこれから、この子と一緒に生きていく。”


洋子はしっかりと我が子を腕に抱き、寝顔を見つめてつぶやいた。