「まぁまぁ、別に名前くらいいいでしょ?」
「……くどい上に常識が無いんですね」
苛々、苛々と。
一体いつになれば手を離すかわからない名無し男の前で、思いっきりため息を吐く。
(…もういっそ、偽名を使おうかな…)
なんて考えてしまう程、いつまでも埒があかない口論を止めてくれたのは…。
「堪忍っ!お待た、せ…あれ?」
「…ゆ、…さ、帰りますよ」
…危ない。
危うくもう少しで雪さんの名前を言いそうになったのを、留まる。
そして、雪さんが現れた途端、名無し男の手の力が弱ったのを見計らって、手を振りほどいた。
「あーあ、逃げられちゃった」
名無し男は頭の後ろに手を組み、あたし達を上から下までジロジロ見る。
(……今すぐ、名無し男の顔に砂をかけてやりたい…)
なんて思いはグッと堪えて、雪さんと歩く。
雪さんは困り顔と小さな声で、
「……千春ちゃん、あの人放っておいてええの?なんやえらいこっち見てはるけど…」
そう尋ねてくるので、余計な心配なんてさせないように1つだけ言っておく。
「……あんな常識と名前が無い人なんて、放っておけばいいんです」
「そ、そうなん?」
そう言うと、雪さんは買ったであろう櫛等が入った包みをギュッと握りしめポツリと呟く。
「何があったんかは知らんけど…千春ちゃん、えらい怖い顔してんで?」
「……え?」
「あかんで?女子やねんから、もっと笑わな!」
怖い顔…。
そもそも、あたしはどうしてこんなに苛立っているんだろう。
あたし自身に何か言われたわけじゃないし、沖田さんの噂話なんて、適当に聞き流せば良かったんじゃ……。
(……カルシウム不足、なのかも)
そう思う事にし、来た道と同様、雪さんのマシンガントークに付き合ったのだった。

