この日、壬生浪士組から名前が新撰組に変わった。





だが、奏が彼らと行動する時に、新撰組の監察だと名乗ることはついぞなかった。






奏にとって、最初から最後まで、自分は『壬生浪士組の監察』だった。






それが、芹沢に対する奏のけじめであり、『壬生浪士組』という名への想いだった。