診察室を出ると、次の患者が3人座っていた。
黒川は会釈して、その場を離れた。患者の顔は見なかった。
見たいとも思えなかった。
無駄な繋がりは避けようとしたためだ。
『大丈夫ですか』とか、『身体に気を付けてください』などと言われても嬉しくない。
『肺がんですから』
なんて話した時には、どんな顔をされるだろう。

受付の待合室に向かうと、多くの診察患者が座っている。
黒川は順番の書かれたカードを機械から取りだし、椅子に座った。
これから、どうするべきか。
そのことしか、頭の中には浮かばない。
会社に連絡するか。
いいや。
それはまずいだろう。
労災などで会社に迷惑をかけてしまう。
それに『肺がん』は労災に入るのだろうか。
それに、他の人には『肺がん』など言えない。

黒川は結婚をしなかった。
それに友達もいなかった。
大学卒業後から、仕事一筋で生きてきた。
交際は何度も会った。
でも、別れる度に虚しさだけが心を残った。
友達も、会社の転勤が続き地元には戻っていない。
もう、20年は会っていない。
両親も墓の中だ。
その墓も今どうなっているのかもわからない。
仕事だけに人生を費やしてきたと言えるだろう。

「煙草が吸いたいな………」

ストレスが溜まったため、この気持ちを外に出さなければならない。
でも、ここは病院だ。
喫煙所などあるわけがない。
空気を大きく吸い、息を吐いた。
心を落ち着かせようとした。

ふと、受付の方を見ると順番が電子版に浮かんだ。
『224』さっき取りだしたカードを見ると、『232』と書かれている。
患者の流れからして、あと10分はかかるだろう。
黒川は椅子から立ち上がり、公衆電話に向かった。
携帯は持っていたが、病院内では使用できない。
マナーを守るためだ。
公衆電話の上に、財布から取りだしたお金を乗せ、手帳を出した。
職場に掛けるのではなく、普段使わない番号にかけるため、携帯のアドレス帳には登録していない。

『まさか、この番号を使うことになるとは………』

そう思いながら、お金を入れ番号を入力した。