一時間ほど、電車が来る度に車内に入っては鞄を探すことをした。
駅員に言えば、探してもらえるが、それでは時間がかかりすぎる。
今日中に必要な書類なのだ。
それは自分のためではない。
会社のため、取引先の会社の信用問題が絡んでくる。
それに、黒川の部下たちにも示しがつかない。

やっとの思いで鞄を見つけた。同じ電車の同じ場所に鞄はあった。
黒川は鞄を持ち、ホームに出たとき、心がほっとした。
すぐに改札口に向かった。
改札口には学生やら、サラリーマンが交差するように、歩いている。
黒川は自分の携帯で会社に電話をした。

「診察が長引いてしまい、遅くなるが、あと10分で戻る」と連絡を入れた。
相手は「わかりました」の一言だった。
電話を切り、急いで会社に向かった。
予定では、タバコをもう一本吸うはずだったが、それでは時間がもったいない。それにタバコを吸う気にはなれなかった。
会社についてから、吸えばいい。
そう考えたためだ。

何度も通った道を、急ぎ足で歩いた。
その間、黒川は肺癌のことを報告するべきか、まだ悩んでいた。
まだ、黙っておこう。いいや、いうべきだ。
その二択の議論が頭の中で行われた。

会社に近くにつれて、気持ちは前者に流れていった。
まだ言うべきではない。
もう一度、検査すればいい。
黒川は自分でも知らないうちに、検査が間違いだったものだと決めつけるようになった。
それは現実逃避なのかもしれない。
しかし、必ずしもそうとはいいにくい。
事実、医者の誤診というケースはある。
それならば、黒川の廃盤も誤診なのかも知れない。