美しい十六夜の月。

 その下で、一人盃を傾ける男がいた。

 厳つい外見だが、表情は優しい。

 安倍家の家長、安倍保名である。

 さほど酒に強いわけでもないのだが、月の美しい晩は必ずこうして月の下で呑むことにしている。

 亡くなった妻が愛した月の下。


「葛…」

 ほとんど聞き取れないほどの声で、保名は妻の名を呼んだ。

「葛、見ているかい…晴明はずいぶん君に似てきたよ」


 まだ少年といっていい年頃だが、有能な陰陽師である息子は、近頃仕事で寮に詰めている。

 この日、久々に帰宅した息子は驚くほど亡き妻に似ていて、保名は思わず声をあげそうになった。


「…晴明は、たまにすごく優しい目をするようになった。あの子、この間まで表面はにこにこしてても冷めた目ばかりしていたんだ。だからだろうな…今日、晴明の笑顔は本当に君とそっくりで驚いたよ」

 保名は目を閉じる。

 もう何年も見ていないのに、瞼の裏には、はっきりと妻のあたたかな笑顔が浮かぶのだ。

「友達ができたんだ。同い年くらいの、いい子だよ。今日はその子があやかしとの戦いに巻き込まれたって言って、その子を背負って帰って来たんだ。陰陽寮にも戻らないで」

 恐らく今も息子は友人の枕元に座り続けているだろう。

「出血が酷かったけど、幸い大した怪我じゃなかった。…って、晴明にも言ったんだけどね。だけど、なんかさ…親として、嬉しいよ」


 息子はあまりの陰陽の才ゆえに、畏怖と好奇と妬みに曝されて育った。

 心を開くのは父と師と兄弟子だけ。そんな中でよくたくましく育ってくれたものだとは思うが、やはり息子に友達ができたと思うと格別の念がある。


「…ああ、そうそう、その友達っていうのがね…」

 保名は盃に酒を継ぎ足し、なおも妻に語りかけつづけた。


 「あなた、弱いくせに呑み過ぎよ」と、よく盃を取り上げた妻を懐かしく思い出しながら。