(…蕪!)

 りいは周りを見渡す。

 懐で藤影が動いた。

 その動きに視線を動かし…とうとう若い女性の足元に転がっている蕪を見つけた。

 見るかぎり無事である。

 りいはそちらに駆け寄る。


 すると、女性はりいに気づいたか、すっと腰を屈めて蕪を拾ってくれた。

「…気をつけて」

「あ、ありがとう…ございます」

 蕪を受け取りながら、一瞬りいは目を見張った。

 市女笠(いちめがさ)から落ちる虫の垂衣(たれぎぬ)で顔は見えないが、その振る舞いは優雅であり、衣装の生地もえらく上等な錦である。

 こんな市には相応しくない女性に見えた。

(姫君のお忍び…か?)

 それが一番しっくり来るが、それにしては供の一人も見えない。


(はぐれたのだろうか)

 蕪の恩もあるし、姫君を一人でこんなところに置いておくのも気掛かりである。

 りいは遠慮がちに口を開いた。

「あの…もし供の方とはぐれたのでしたら、探すのをお手伝いいたしますが」

 女性は少し首を傾げたようだ。虫の垂衣がさらりと揺れる。

「こう見えても、陰陽道の心得があるのです」

 こんな若い下働きのような者では信用できないかもしれないと、りいはなおも言い募る。


 女性は少し黙っていたが、やがて鈴を振るような笑い声をこぼした。

「ありがとう。でも結構よ。はぐれたわけではないから」

「…え?」

 りいは瞬きを繰り返した。

 それから理解がやってくる。

 …どうやら先走ってしまった。

「も、申し訳ございませぬ!」

 いたたまれず、りいは顔を真っ赤にして詫びる。

 女性はまた少し笑った。

「かまわないわ。心配ありがとう。女のひとり歩きだものね。でも大丈夫」

「そう、ですか…」

「待ち合わせしているの。すぐ会えるはずだから」

 女性が微笑んだような気配。

 りいは頷いた。

「幸運を」


 女性はしっかりとした足どりで去っていった。

 りいはその後ろ姿を見送る。

(…不思議な方だったな)


 そろそろ日も傾きかけていた。