晴明は安倍邸の手前で足を止めた。

「…じゃあ俺、この辺で」

「顔を出していったらどうだ、皆喜ぶ」

 晴明は苦笑いして首を振った。

「やめとくよ。真鯉がまたとんでもない夜食を持たせてくれそうだから」

「ああ…」

 りいも思わず納得してしまった。

 普段は理想的と言っていいような女性なのだが、ひとたび世話を焼きはじめると際限がない。端から見ているぶんには微笑ましいのだけれど、陰陽寮どころか中務省全員分すら賄えそうな夜食を持たされたほうはたまらない。


「じゃあね。あのさ…気をつけてね?」

「なに、心配はいらん。留守は私が守るからな」

「そういうことじゃないんだけどなあ…」

 晴明は呆れたように呟いた。

「りい、男前すぎる…」


 そのまま軽く手を挙げて、彼は背を向けた。

 りいはその背に叫んだ。

「無理するなよ!」

「それはこっちの台詞!」

 晴明も叫び返してくる。


 そうして晴明を見送り、りいははたと気が付いた。

(…男前、といったか)

 すっかり忘れていたが晴明はりいを少年だと思いこんでいるのだ。

 言おうと思いながら結局まだ言っていない。

 わざわざ言うようなことでもなし、今更言いづらいというのもある。

 そもそも男だと言ったわけではないのだ。が、動きやすさを重視した服装といい、おろしても背にかかる程しかない髪といい、鋭い顔つきといい、愛想のない口調といい…これで少年だと思わないほうがおかしい。

 りいは小さく唸った。


 門をくぐるやいなや、奥から藤影が飛び出してきた。

 鋭く鳴いて、りいの肩に舞い降りる。心配げに何度か嘴を擦り寄せた。

「くすぐったいよ…私は無事だ。勝手に出て悪かったな」

 りいも笑いをこぼしながらその羽を撫でる。

「案ずるな。おまえを使うようなことはなかったからな」

 …そう、声をかけつつも。

(陰陽寮の仕事と言っていた…)

 晴明のどこか不自然な態度を疑問に思う。

(何があったと言うんだ…?)