一方、陰陽寮である。 

 賀茂保憲は、弟弟子を見やって苦笑した。

 昨日衣をぼろぼろにして陰陽寮に帰ってきた晴明は、珍しいことに…そう、本当に珍しいことに、真剣に書類仕事に取り組んでいた。

 何かから逃れようとするかのような打ち込みぶりである。

 …何か、などと言っても、勿論保憲はことの次第を把握している。


「…明日は雪が降るな」

 保憲の声に、晴明が虚ろな目を上げた。

「…なんですか」

「案外わかりやすいな、お前も」

「…なんですか!」

 晴明が苛立った声で繰り返した。

 表情がそぎ落とされた秀麗な顔が不機嫌そうな雰囲気を醸し出し、見慣れぬ者なら悲鳴をあげて逃げ出しそうな有り様である。

 にも関わらず、保憲はあろうことか吹き出した。


「拒絶されたか」

「…いえ、でも…」

 はっと言葉を詰まらせる晴明に、保憲はまた笑みを深めた。

「…怖くなって逃げてきたのだろう」

「…っ」

 恨みがましい目付き。

 などという形容が似つかわしい、晴明の表情である。

「少しは信じてやったらどうだ」

「兄さんは知らないんです。それで…裏切られることを」


 どこか遠い目をして言う晴明の頭を…

 保憲は手にした書類で軽くはたいた。

「ちょっと…保憲兄さん!?」

「お前は…そうやって臆病になっていたら、手に入るものまで無くしてしまうぞ」

 行動とは裏腹に、その瞳は優しい。

 晴明は黙りこんだ。


「…さて、今のは兄代わりとしての助言だったが…」

 保憲が晴明の仕上げた書類をつまみ上げる。

「…お前、やればできるのだな?上司としてはお前の怠け癖のほうがよほど手に負えん」

 その言葉に、晴明が思いきり顔をしかめた。

「嫌い、なんですっ!」


 …その時。

 遠くから、足音が近付いてきた。