黒き藥師と久遠の花【完】

 ここに戻れて嬉しいが、静まり返った家に戻るのは怖かったと、彼には珍しい弱音を吐いていた。
 その思いは、みなもには痛いほどよく分かった。

(俺がいる事で、少しでも気が楽になったのなら良いけれど……)

 小さく息をついて気持ちを切り替えると、みなもは浪司に向かってニッコリ笑った。

「じゃあ浪司、倉庫までひとっ走りお願いするよ。乾燥させた涼薄荷とタマウチ草を一袋ずつ持ってきて欲しい」

「おう、分かったぞ。丁度ひと休みしたかったところだ。息抜きがてらに行ってくる」

 快い返事をすると、浪司は石臼を使い続けて強張った腕をブラブラさせながら部屋を出て行った。

 みなもは軽く手を振って見送った後、再び大壺の中の様子を確かめる。
 柄杓でゆっくりと混ぜていると――。

「これは何の薬なんだ? 臭いがきついな」

 不意に横から若い男の声がした。
 初めて耳にする声。緊張が走り、みなもは素早く彼に振り返る。

 みなもの目前に、半開きの眠そうな目が現れる。
 薄い赤銅色の髪を真中で分け、うなじで毛先を跳ねさせている。
 背丈はみなもと同じくらいで、男性にしては小柄なほうだ。
 重厚感のある藍色の服が、彼から身分のよさを漂わせている。

(ヴェリシアの貴族かな? 随分ゆるそうな人だけど)

 彼の好奇心を隠さぬ無邪気な瞳に気を許し、みなもは微笑を零した。

「これは解熱の薬になります。この臭いのおかげで、気つけ薬にもなりますよ」

「ハハ、使われる者には災難だな。余も風邪を引いて熱を出さぬようにせんとな」

 ひとしきり笑ってから、男はみなもの目を見つめる。
 口元は笑みを浮かべたままだが、その眼差しは真摯なものだ。

「……レオニードからそなたの事を聞いたぞ。あいつは余と身分こそ違うが、大切な友人――レオニードの命を救ってくれて、心から感謝する」

 そう言うと男は手を差し出してきた。
 一抹の後ろめたさを感じながらも、みなもは彼と握手を交わす。