そして、
「なぜ人間は死んでしまうんだろう。じゃあなぜ、人間は生まれてくるのだろう」
そうつねに考えるようになったことも、絶対的な変化でした。

それはまさに、私の人生の本当のスタートとなり、今日までのあいだ、私はわき目も触れずに走り抜けてきたのです。

もちろん、その根底にあったのは、
「母が私を、自分の命と引き換えに産んでくれた」
という感謝の念でした。

命賭けの母の覚悟。

それによりこの世に生を受けた私は、母の分まで生き抜かねばならない。

それは、間違いのない、私のなかでの揺るがない決意です。

そして私は、母が自分の命を犠牲にしてまで私を産んでくれたという事実を、母の死後に父から聞かされて以来40年以上、信じて生きてきた。

ということは、
「母は自分の命と引き換えに私を産んだ」

「私は母の生まれ変わりである」
と。

そうなのだとすれば、あのとき母は、本当に、出産と同時にその身が朽ち果ててもいいと考えていたのでしょうか。

子どもを出産できるのは、女性だけです。

どんなに子どもを好きな男性でも、出産という人間にとって最も神聖な行為だけは、絶対に叶うことのないものなのです。

その女性だけに与えられた特権、つまり、私をこの世に産み落とすということだけを望んで、母は寿命を縮めたのでしょうか。

母は私を産んだ瞬間に、私の母親という特権も同時に入手しました。

世の母親ならば、出産した直後に手ずからわが子を抱いた瞬間、どんなことを考えるでしょう。

男性である私は、それを想像することしかできません。