2年後



息子の恒寿(ハンス)は、アメリカはH大学の2年生。



大学では、音楽学部で音楽学術研究の弦楽器の学士コースを専攻している。



今日は、4月30日。



明日は、息子の誕生日である。



去年のこの期は、韓国はソウル大学で行われているサマー・ショート・プログラムに通って、韓国の歴史やハングル語の勉強をしていた。



と言うのも、H大学の夏休みは、5月の中旬から8月の下旬までの、100日以上もあるからだ。



しかし、今年は恒寿(ハンス)の力が目覚める年なので、緊急でハンスをソウルの実家に呼び寄せたのだ。



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4月29日の朝、



「恒寿(ハンス)、ハラボジ(お祖父さん)だけど、お前の父さんが倒れて意識不明の重体なんだ。

今すぐ韓国の私の所に来なさい!」



『アボニム(父上)が倒れたんですか!

ハラボジニム(お祖父様)、父上は大丈夫なんですか!?』



「詳しい事は後じゃ!

兎に角、大至急ソウルに来なさい!

分かったね!?」



『はい、分かりましたハラボジニム(お祖父様)。』



「それじゃあ大学の方には連絡しといてあげるから、直ぐに飛行機に乗りなさい。」



『分かりました。

それでは失礼します。』



と言って、電話を切った。



アボニム(父上)………!



僕は直ぐに身の回りの必需品だけを鞄に詰め込んで、クインシーにあるハウスと呼ばれる寄宿舎からタクシーに乗り、12マイル(約20km)離れたボストンはローガン国際空港へ向かった。



タクシーの中から、ユナイテッド航空に連絡を入れ、一番早い便を予約した。



タクシーに乗って18分後、ローガン国際空港に到着した。



直ぐにユナイテッド航空の受付カウンターへと行き、チケットを受けとる。



手荷物検査を受けて直ぐに機内へと向かった。



急きょチケットを取ったので仕方無いが、ビジネスクラスは空きがなく、ファーストクラスしか無かった。



ゆったりとしたシートに腰を埋めて、リクライニングを軽く倒して目を瞑る。



CAが、毛布を持ってきてくれた。



それを掛けて、再び目を瞑った。



後数分後に離陸するのが、エンジン音の変化で分かった。



通路を挟んだ隣の座席に、人の気配を感じて目を開けて左を見た。



同じ年か、僕より少し年下の女性が荷物を上げてからシートに座った。



…綺麗な人だなぁ…



その女性、モデルの様に長身でたぶん170cm近く有るんじゃないかなぁ…



綺麗な長い黒髪が、肩甲骨の辺りまで伸びている。



センスがよく、嫌らしく無い程度の鮮やかさを持った黒をベースにしたドレスが、彼女をより大人っぽく演出していた。