親父は母上に頭が上がらない。
親父は母上に骨抜きになっているからだ。
将軍は側室をつくって然るべき、と言われながらも、親父には側室がいない。
なぜなら、母上一筋だからだ。
だから、子は俺一人。
側室でもいてくれたら、俺は今頃こんな堅っ苦しい身の上ではなかったのに。
「あら、若もいたの?
どうしたのです、そのように思い詰めた顔をして。」
若、とは俺のことだ。
母上はコロコロと鈴の鳴るように話す。
「御台こそ、何をしに参ったのだ。」
「あら、用がなくては来てはいけないのですか?」
母上は屈託のない笑顔を親父に向ける。
親父は思わず言葉につまった。
「わ、若に御台所を娶らせようかと思うてな。」
普段の親父では考えられないような、気の抜けた声。
「なんですって?
御台所を?」
「そうだ…。」
「何をおっしゃいます!」
突然、母上の怒鳴り声が響いた。
俺も親父も、ボカンと口を開ける。
天下の将軍が、間抜けな顔だな。
「若にはもう側室がいるのですよ?」
「だが…。
将軍御台所には、日野家の娘をというのがしきたりだ。」
「しきたりが何だと言うのですか!
愛し合う二人を、何故引き離さねばならぬのです!
どうしても日野の娘が良いとおっしゃるなら、私から兄上に頼んで養女にしていただきます!!」
母上は一気に親父に言った。
親父もそうまで言われては、どうしようもないだろう。
俺は母上によって、一旦親父から解放された。


