数週間経って私と母は退院したが、私の苦悩は続いていた。


病院にいる期間も私は私のことを考え続けた。


医学的にも科学的にも解明できない現象が今、私に起きている。


これが世界に知れわたるとすごいことになるだろう。


だが私はそれを伝えてはいけない。


世界が混乱をまねくからだ。


だから、私の口からは…、いや待てよ、私は話すことが出来るのだろうか。


試してみてもいなかった。


私はなぜか病室にあったリンゴを眺めて言葉をはなってみた。



「アップル」


流暢なカツゼツで私は言った。


なぜ英語なのかは私にもわからない。


ただ私は日本語どころか英語も話せることがおかげでわかった。