☆☆☆☆☆
何かおかしいって、二日目
にはもうハッキリと気づいてた。
昨日は、単に体調か機嫌が
すぐれないだけかなって
思ってたけど。
でもさすがに、今日は明らか。
――だって、今日は
バレンタイン。
予想通り瑞樹クンのところ
には、挨拶くらいしかした
ことないはずの他部署の
コまでが、チョコを渡しに
詰めかけて。
_瑞樹クンはそのコ達全員に、
『ありがとー、すごく嬉しい♪』
って、笑顔で話してるのに。
「……ね、瑞樹クン。
午後の広報との打ち合わせ
なんだけど……」
「――広報?
あ、それだったら任せるんで。
莉央さんの好きにどうぞ」
「え…………」
やっぱり、まただ。
あたしに対してだけ、
明らかに不自然な仏頂面。
態度も口調も、ロコツな
までにそっけない。
_朝イチで部の他のコ達と
一緒にチョコを渡した
時も、あたしとは直接
目をあわさず、
『みんなありがとー』
としか言ってなかったし……。
(あたし……避けられてる?)
もはやそれは憶測じゃ
なく、確信だった。
(でもどうして?
あたし何か、瑞樹クンを
怒らせるようなこと
したっけ――?)
記憶を探ってみるけど、
心当たりは全くない。
_(でもきっとあたしが
気づかないだけで、何か
あるんだよね……)
そうでなきゃ、いつも
あんなに人当たりのいい
瑞樹クンがこんな態度に
なるなんておかしいもの。
結局午後の打ち合わせ
でも、瑞樹クンはニコリ
ともしないで事務的な
ことを話すだけだった。
あたしはほとほと困り
果てて、どうしていいか
わからなくなってしまう。
_仕事がしづらいのも
もちろんある。
でもそれ以上に、毎日
当然のようにそこにあった
ものが、ある日突然に
なくなってる戸惑い。
それが、むしょうに
あたしを不安にさせてた。
(あんなに毎日、莉央さん
莉央さんって子犬みたいに
ついて来てたのに。
どうしてよ……なんで
いきなり、そんな
態度なの……?)
何かあたしに腹の立つ
ことがあったなら言って
くれればいい。
_でも何も言わないまま
冷たくされたら、あたし
にも全くわかんないよ。
(なんかイヤだ、こんなの。
こんな状態なら正面切って
ケンカした方がまだマシだよ)
打ち合わせが終わった
時点で、あたしは決心した。
二人で無言でオフィスに
戻る道中、何度か使った
あのB会議室が空いてる
のに気づく。
(打ち合わせ、予定より
だいぶ早く終わったし……
今しかないかも)
_そう思ったあたしは立ち
止まって、前を歩いてた
瑞樹クンを呼び止めた。
「瑞樹クン、ちょっと待って。
話がある」
瑞樹クンはやっぱり表情の
ない顔でノロノロと振り返り、
「話? なんですか?
デスクに着いてからで
いいんじゃ――」
「デスクじゃできないから
言ってるんでしょ。
いいから、ちょっとこっち来て」
あたしは周りに誰もいない
のを確認して、彼の腕を
取りB会議室に引きずり込んだ。
_ドアを閉めると、邪魔が
入らないように鍵をかける。
「ちょっ、何して――?
これじゃ無断使用でしょ!?」
たしかに会議室を使う時は
総務に報告して、表のドア
横のボードに使用者と
時間を書かなきゃいけない。
でも、
「そんなことしてらんないわよ。
それにここは滅多に使われ
ないからいい」
「は? イミわかんないし。
どーゆーつもり、莉央さん?」
_ムリヤリ連れ込まれた
瑞樹クンは、不快さを
隠さない声で詰め寄ってくる。
彼のそんな表情も声も
初めてで、あたしは胸が
チクンと痛んだ。
でも、ここで戸惑ってる
わけにはいかない。
ちゃんと、確認しないと。
「だってこうでもしないと
まともに話そうとしてくれ
ないじゃない。
瑞樹クン、昨日から
あたしを避けてるでしょ」
早口になるのを懸命に
おさえながら、あたしは
彼にそう言った。
_瑞樹クンは一瞬だけ頬を
ピクッと震わせたけど、
すぐにそれをかき消して、
「……避けてる?
気のせいじゃないの?
現に今もこうして
話してるじゃん」
「違うよ、そういう
ことじゃなくて。
そりゃ仕事の話はしてる
けど、態度は冷たいし、
それ以外は目をあわせよう
ともしないじゃない」
あたしがまっすぐ彼を
見ると……彼はまた、
目をそらした。
「ホラ、やっぱりそうじゃない」
_バツの悪そうな瑞樹クンに
向かって、あたしはさらに
言葉を続ける。
「あたし、何か瑞樹クンに
怒られるようなことしたかな?
言いたいことがあるなら
ハッキリ言ってよ」
「だから、別に何もないってば」
「ウソ。
じゃあどうしてそんな態度なの?
絶対におかしいじゃない」
昨日からの戸惑いや疑問が
爆発して、つい声を
荒らげてしまった。
_だけどその声に、ようやく
瑞樹クンの目の色が変わる。
今までの取り繕った表情
から、ようやく本心が覗いた。
――そんなふうに見えた。
「おかしいのは……
莉央さんでしょ」
吐き出された声は低くて、
くぐもってて。
怒りとも悲しみとも
とれる、色んな感情が
混ざってる。
「……え?
あたしが、おかしい――?」
そんな切り返しが来るとは
思ってもなくて、あたしは
おうむ返しにしたまま
言葉を失う。
_「そうだよ。
オレなんかより、莉央
さんの方がよっぽどおかしい。
オレの知ってる
莉央さんじゃないよ」
「え? な、何言ってるの?
あたしはいたって普通じゃない」
少なくとも昨日も今日も、
普段とごく変わらずに
仕事してる。
瑞樹クンにこんなふうに
言われる理由が、サッパリ
わからない。
「瑞樹クン…………」
狼狽するあたしに。
瑞樹クンは睨むような瞳で
あたしを見ると――さっき
よりもさらに低く、こう告げた。
_「見たんだよ、オレ。おとつい。
莉央さんと課長が、二人で
ホテルに入ってくトコ――…」
「――――――!!?」
ショック、なんて言葉より
もっと激しい衝撃が、
全身を貫くように走った。
視界が暗くなって、この
まま気を失うのかもしれ
ないとすら感じる。
―――見られてた?
あの日の、あたしを。
課長に寄りすがるあの
姿を、瑞樹クンはどこか
から見てたっていうの……!?
_「ウ、ソ……だよね……?」
そんなわけはないに決まってる。
だけどそう言わずには
いれなかった。
嘘であってほしいって、
これ以上ないくらい強く
願ったから。
だけどそんな願いは叶う
わけもなく……瑞樹クンは
ハッと短いあざけりの
笑みを吐き出すと、
「ウソなわけないじゃん。
見てたよ……信じたく
なかったけど」
「ちっ、違うのっ、
あれは……!」
_「何が違うんだよ!?
そんな言い訳、
聞きたくもないし!
てーか、なんのために
一度終わらせたわけ?
結局あれじゃ、
なんの意味もないじゃん」
「瑞樹クン――違うの、
ホントに!
たしかにホテルには行ったよ。
もちろんそれも充分
サイテーだってことは
わかってる。
でも、瑞樹クンが考えてる
ようなことはしてない。
ヨリを戻したんじゃないの!」
_ここがどこかなんてことも
忘れて、あたしは必死で
まくし立ててた。
瑞樹クンには――彼に
だけは、誤解されたくない。
その思いで、必死だった。
――あたしの話を聞いて、
怒りをあらわにしてた瑞樹
クンも意表をつかれた
ように言葉を失ってる。
お互い無言のまま、
しばらく視線だけを
交わしあった。
重苦しい沈黙のあと、先に
口を開いたのは瑞樹クン。
_彼は声のトーンは幾分
落としつつも、まだ納得は
いってない様子で、
「そんなの……
信じらんないでしょ。
中で起こったことなんて
どうとでもごまかせるじゃん。
オレには知りようもないもんね」
「そんな……。
ホントなんだよ! 信じてよ!」
本当に、これっぽっちも
嘘なんてついてない。
あの個室であんなことを
言われてキスをされて、
たしかに一度は流された。
_秘めてた想いが呼び
覚まされたこともあって、
彼が求めるまま店を出て
ホテルに入ったけど。
でもホテルの部屋で二人に
なると、すぐに後悔した。
彼の奥さんの笑顔が頭から
離れなくて、自分で自分を
ひっぱたきたいくらい反省した。
――そう。
あたしは弱い人間だから、
きっと一生、彼を嫌いに
なることも忘れることも
できない。
_今だってまだ、心の
どこかで彼のことが好きだ。
だけどやっぱりあたしは、
もう彼の腕の中には戻れない。
本能だけでそれをしたら、
きっともう、“あたし”は
“あたし”じゃなくなるから。
(あたしは瑞樹クン
みたいに、まっすぐでも
強くもないけど。
だからこそせめて、自分が
正しいと信じることだけは
貫きたいよ)
瑞樹クンには、きっと
どれだけ頑張ったって
追いつけなんかしないけど。
_だけど――たとえ追いつけ
なかったとしても、ほんの
わずかな距離だったとしても。
少しでいいから、瑞樹クン
みたいになりたい。
あたしも彼みたいに、
自分の過去にも胸を
張れる生き方をしたい。
――そう思った時、
『ああ、あたしは本当に
課長とは終わったんだな』
って、実感した。
もうあたしは、課長とは
別の道を歩き出して
るんだってことを。
_だからその場ですぐに、
もう一度課長のそばには
いられないってことを
キチンと伝えて。
たくさんの『ありがとう』
と『ごめんなさい』を、
たった一言、『サヨナラ』
っていう言葉に乗せて。
ホテルの部屋に課長を
残して、あたしは一人、
飛び出したんだ。
あの夜本当に、あたし達の
2年間は終わった――…。
_(あたしがこういう答えを
出せたのは、ほとんど瑞樹
クンのおかげなのに。
その瑞樹クンに誤解される
なんて、絶対にイヤだよ……!!)
信じてほしい。
でも、どうやったら
信じてもらえるの?
一緒にホテルに入って
おいて、やっぱり何を
言っても信憑性なんて
ないのかな?
他の誰に、どう罵られても
かまわない。
だけど瑞樹クンにだけは、
本当のことを伝えたいのに――!!
_「ちょっ、莉央さん……!」
ものすごく唐突に名前を
呼ばれて、あたしはビクッ
と肩を震わせてしまった。
「え……な、なに……?」
さっきまで怒りに近い怖い
表情をしてた瑞樹クンが、
なぜか今は狼狽をあらわに
した顔をしてる。
一歩あたしへ歩み寄って
――でもやっぱり、戸惑う
ようにまた下がって。
普段の彼からは想像も
つかない困惑しきった
顔で、瑞樹クンは言った。
_「ナニ泣いてんだよ……。
やめてよ、こんなことで」
(え――――??)
その言葉に、そっと自分の
頬を指先で触れてみて、
初めて自分が泣いてた
ことに気づいた。
指先を濡らした涙は
熱くて、今もまだとどまる
ことなく流れてる。
「ゴ、ゴメン……。
やだ、あたしなんで……」
「こっちのセリフだよ。
泣くほどのことじゃないだろ」
_瑞樹クンはぶっきらぼうな
口調でそう言うけど。
「だけどあたし……瑞樹
クンにわかってほしくて。
どうしても信じてもらえ
ないのかなって思ったら、
なんか――」
悔しくて、悲しくて。
知らないうちに、涙が
あふれてた。
「どうしよ……なんか
止まんなくなってきた……」
泣いてる事を意識したら、
今まで以上に大粒の涙が
あふれてくる。
なんか、涙腺がどーにか
なっちゃったみたいだ。
_「………っ。…………っ」
もう声らしい声も出なくて
しゃくりあげるしかないあたし。
もどかしそうな瑞樹クンの
声がしたのはその時だった。
「ホントに……ホントなの?
課長と――戻ったんじゃ
ないって」
いつの間にか、声がさっき
より近い所から聞こえる。
片目の涙をぬぐって少し
顔を上げると、瑞樹クンは
あたしのすぐそばまで
歩み寄って来てた。
_あたしは必死で頷いて、
「課長には、そんなことを
言われて……ついホテル
まで行ったけど、あた、
あたしはすぐに、帰ってきた」
嗚咽のせいでうまく
しゃべれないけど、
懸命に説明する。
「ホントだよ。
キスはされたけど、
セックスはしてない」
そう伝えると、瑞樹クンは
困ったように苦笑して、
「バカ……。
そんなことまで言わなくて
いいって。
もう、わかったから」
_「瑞樹ク――…!」
バカッて言われたことより
かすかでも彼の笑顔が
見れたことで、あたしは
飛び上がりそうなくらい
嬉しかった。
――やっと、彼が笑ってくれた。
苦笑いだったけど、それは
もう――あたしの知る、
いつもの瑞樹クンのものだ。
「瑞樹クン……それじゃ……!?」
「あぁ。……信じるよ。
莉央さんにここまでの
泣き落としのテクがある
とは、とても思えないからね」
_「な……?
ひど、そんな言い方……!」
ホントに悲しくて泣いてたのに。
抗議の目線を向けたら、
彼は涙でうるんだままの
あたしの目元を、そっと
その細い指先でぬぐって、
「――冗談だよ、ゴメン。
まさか泣くだなんて思って
なかったから、オレだって
すっげー動揺したの。
だから許してよ。――ね?」
はにかんだ笑みを浮かべ、
優しさのあふれる穏やかな
声で、そう囁いた。
_「瑞樹クン――……」
……不思議だな。
彼が笑ってくれるだけで、
さっきまであんなに冷たく
凍えてたはずの心が、もう
ホワンとあったかくなってる。
――その笑顔に、とても
安堵してるあたしがいる。
『わかった、許すよ』って
答える代わりに、あたしも
彼にほほ笑みを返した。
それを見た瑞樹クンは
嬉しそうに笑って、
「――ね? オレに誤解
されるのは、そんなに
イヤだったの?」
_あたしの左耳に唇を
寄せて、吐息混じりに
そんなことを囁いてくる。
あたしはドキンと心臓が
飛び出しそうになりながら、
「そ、そうだよ……」
「ふぅん。――泣くくらい?」
「……な、泣くくらいだよ……」
イジワル。
後輩の前で泣くなんて
センパイとしては形無し
なんだから、そんなに
いじめないでよ……。
心の中ではそう思ってた
けど、それを口に出す
ことはできない。
_なぜって――
耳たぶにかかる熱い
吐息で、あたしの頭は
芯からしびれたみたいに
ジンジンし始めてたから。
「困ったセンパイだなー。
莉央さんに泣かれちゃ、
百戦錬磨の元ホストも
たちどころにヤラれ
ちゃうよ……?」
何言ってるのよ……。
そんなこと言う瑞樹クンの
方が、よっぽど困った
後輩じゃない――…。
これ以上彼の声を聞いて
たら、立ってられなくなりそう。
_そう思ったとき、まさに
心を読んだかのような
タイミングで、力強い腕が
あたしの腰を支えてくれる。
そして、今までより
いっそう甘い囁き声で、
「やっぱり莉央さんって、
カワイイね」
「バカ――またそんなこと
言って――…」
「だって、ホントだし。
オレ、もっと知りたい。
莉央さんのコト。
オレに見せてよ?
“センパイ”じゃない、
“オンナ”の顔――…」
_ドクン。
鼓動と共に、あたしの中で
何かが弾けた気がした。
瑞樹クンの腕が吸い寄せる
ようにあたしの体を
とらえ、ほとんどピッタリ
着きそうなくらい、二人は
至近距離で向き合ってる。
――今の言葉はどういう意味?
絡みあった視線がそらせない。
時間が止まって
しまったかのよう。
だけど、もちろんそれは錯覚。
_だってホラ……
時間が動いてる証拠に、
ゆっくりと瑞樹クンの顔が
あたしに近づいて来てる。
徐々に徐々に近くなって。
そしていつかのように、
唇と唇が触れそうな
距離にまで――…。
「すいませーん!
誰かここ、
使ってるんですかぁっ!?」
_「………………!!!!」
突然空気をつんざいた声と
ノックの音に、あたし達は
跳びはねるように離れた。
瑞樹クンが急いでドアの
方に走って、
「あ、す、すいませんっ、
今開けます!」
施錠を解いてドアを
開けると、そこにいたのは
総務の女のコで、
「え……柳瀬さん?////
どーしたんですか?
こんな所で鍵なんかかけて」
「あ、えーと……そう、
コンタクト落としちゃって!
探す間誰も来ないように、ね。
すいません、勝手に」
_かなりムリのある言い訳な
気がするけど、総務のコは
相手が瑞樹クンなんで緊張
し出したみたいで、
「あ、そ、そーなんですか。
で、見つかりました?」
「ええハイッ、たった今!
てなわけですぐ出て
行きますから!
んじゃ、お疲れ様でした〜」
彼女が戸惑ってるすきに
隣をすり抜け、あたし達は
逃げるようにその場を
走り去った――。
☆☆☆☆☆
_
何かおかしいって、二日目
にはもうハッキリと気づいてた。
昨日は、単に体調か機嫌が
すぐれないだけかなって
思ってたけど。
でもさすがに、今日は明らか。
――だって、今日は
バレンタイン。
予想通り瑞樹クンのところ
には、挨拶くらいしかした
ことないはずの他部署の
コまでが、チョコを渡しに
詰めかけて。
_瑞樹クンはそのコ達全員に、
『ありがとー、すごく嬉しい♪』
って、笑顔で話してるのに。
「……ね、瑞樹クン。
午後の広報との打ち合わせ
なんだけど……」
「――広報?
あ、それだったら任せるんで。
莉央さんの好きにどうぞ」
「え…………」
やっぱり、まただ。
あたしに対してだけ、
明らかに不自然な仏頂面。
態度も口調も、ロコツな
までにそっけない。
_朝イチで部の他のコ達と
一緒にチョコを渡した
時も、あたしとは直接
目をあわさず、
『みんなありがとー』
としか言ってなかったし……。
(あたし……避けられてる?)
もはやそれは憶測じゃ
なく、確信だった。
(でもどうして?
あたし何か、瑞樹クンを
怒らせるようなこと
したっけ――?)
記憶を探ってみるけど、
心当たりは全くない。
_(でもきっとあたしが
気づかないだけで、何か
あるんだよね……)
そうでなきゃ、いつも
あんなに人当たりのいい
瑞樹クンがこんな態度に
なるなんておかしいもの。
結局午後の打ち合わせ
でも、瑞樹クンはニコリ
ともしないで事務的な
ことを話すだけだった。
あたしはほとほと困り
果てて、どうしていいか
わからなくなってしまう。
_仕事がしづらいのも
もちろんある。
でもそれ以上に、毎日
当然のようにそこにあった
ものが、ある日突然に
なくなってる戸惑い。
それが、むしょうに
あたしを不安にさせてた。
(あんなに毎日、莉央さん
莉央さんって子犬みたいに
ついて来てたのに。
どうしてよ……なんで
いきなり、そんな
態度なの……?)
何かあたしに腹の立つ
ことがあったなら言って
くれればいい。
_でも何も言わないまま
冷たくされたら、あたし
にも全くわかんないよ。
(なんかイヤだ、こんなの。
こんな状態なら正面切って
ケンカした方がまだマシだよ)
打ち合わせが終わった
時点で、あたしは決心した。
二人で無言でオフィスに
戻る道中、何度か使った
あのB会議室が空いてる
のに気づく。
(打ち合わせ、予定より
だいぶ早く終わったし……
今しかないかも)
_そう思ったあたしは立ち
止まって、前を歩いてた
瑞樹クンを呼び止めた。
「瑞樹クン、ちょっと待って。
話がある」
瑞樹クンはやっぱり表情の
ない顔でノロノロと振り返り、
「話? なんですか?
デスクに着いてからで
いいんじゃ――」
「デスクじゃできないから
言ってるんでしょ。
いいから、ちょっとこっち来て」
あたしは周りに誰もいない
のを確認して、彼の腕を
取りB会議室に引きずり込んだ。
_ドアを閉めると、邪魔が
入らないように鍵をかける。
「ちょっ、何して――?
これじゃ無断使用でしょ!?」
たしかに会議室を使う時は
総務に報告して、表のドア
横のボードに使用者と
時間を書かなきゃいけない。
でも、
「そんなことしてらんないわよ。
それにここは滅多に使われ
ないからいい」
「は? イミわかんないし。
どーゆーつもり、莉央さん?」
_ムリヤリ連れ込まれた
瑞樹クンは、不快さを
隠さない声で詰め寄ってくる。
彼のそんな表情も声も
初めてで、あたしは胸が
チクンと痛んだ。
でも、ここで戸惑ってる
わけにはいかない。
ちゃんと、確認しないと。
「だってこうでもしないと
まともに話そうとしてくれ
ないじゃない。
瑞樹クン、昨日から
あたしを避けてるでしょ」
早口になるのを懸命に
おさえながら、あたしは
彼にそう言った。
_瑞樹クンは一瞬だけ頬を
ピクッと震わせたけど、
すぐにそれをかき消して、
「……避けてる?
気のせいじゃないの?
現に今もこうして
話してるじゃん」
「違うよ、そういう
ことじゃなくて。
そりゃ仕事の話はしてる
けど、態度は冷たいし、
それ以外は目をあわせよう
ともしないじゃない」
あたしがまっすぐ彼を
見ると……彼はまた、
目をそらした。
「ホラ、やっぱりそうじゃない」
_バツの悪そうな瑞樹クンに
向かって、あたしはさらに
言葉を続ける。
「あたし、何か瑞樹クンに
怒られるようなことしたかな?
言いたいことがあるなら
ハッキリ言ってよ」
「だから、別に何もないってば」
「ウソ。
じゃあどうしてそんな態度なの?
絶対におかしいじゃない」
昨日からの戸惑いや疑問が
爆発して、つい声を
荒らげてしまった。
_だけどその声に、ようやく
瑞樹クンの目の色が変わる。
今までの取り繕った表情
から、ようやく本心が覗いた。
――そんなふうに見えた。
「おかしいのは……
莉央さんでしょ」
吐き出された声は低くて、
くぐもってて。
怒りとも悲しみとも
とれる、色んな感情が
混ざってる。
「……え?
あたしが、おかしい――?」
そんな切り返しが来るとは
思ってもなくて、あたしは
おうむ返しにしたまま
言葉を失う。
_「そうだよ。
オレなんかより、莉央
さんの方がよっぽどおかしい。
オレの知ってる
莉央さんじゃないよ」
「え? な、何言ってるの?
あたしはいたって普通じゃない」
少なくとも昨日も今日も、
普段とごく変わらずに
仕事してる。
瑞樹クンにこんなふうに
言われる理由が、サッパリ
わからない。
「瑞樹クン…………」
狼狽するあたしに。
瑞樹クンは睨むような瞳で
あたしを見ると――さっき
よりもさらに低く、こう告げた。
_「見たんだよ、オレ。おとつい。
莉央さんと課長が、二人で
ホテルに入ってくトコ――…」
「――――――!!?」
ショック、なんて言葉より
もっと激しい衝撃が、
全身を貫くように走った。
視界が暗くなって、この
まま気を失うのかもしれ
ないとすら感じる。
―――見られてた?
あの日の、あたしを。
課長に寄りすがるあの
姿を、瑞樹クンはどこか
から見てたっていうの……!?
_「ウ、ソ……だよね……?」
そんなわけはないに決まってる。
だけどそう言わずには
いれなかった。
嘘であってほしいって、
これ以上ないくらい強く
願ったから。
だけどそんな願いは叶う
わけもなく……瑞樹クンは
ハッと短いあざけりの
笑みを吐き出すと、
「ウソなわけないじゃん。
見てたよ……信じたく
なかったけど」
「ちっ、違うのっ、
あれは……!」
_「何が違うんだよ!?
そんな言い訳、
聞きたくもないし!
てーか、なんのために
一度終わらせたわけ?
結局あれじゃ、
なんの意味もないじゃん」
「瑞樹クン――違うの、
ホントに!
たしかにホテルには行ったよ。
もちろんそれも充分
サイテーだってことは
わかってる。
でも、瑞樹クンが考えてる
ようなことはしてない。
ヨリを戻したんじゃないの!」
_ここがどこかなんてことも
忘れて、あたしは必死で
まくし立ててた。
瑞樹クンには――彼に
だけは、誤解されたくない。
その思いで、必死だった。
――あたしの話を聞いて、
怒りをあらわにしてた瑞樹
クンも意表をつかれた
ように言葉を失ってる。
お互い無言のまま、
しばらく視線だけを
交わしあった。
重苦しい沈黙のあと、先に
口を開いたのは瑞樹クン。
_彼は声のトーンは幾分
落としつつも、まだ納得は
いってない様子で、
「そんなの……
信じらんないでしょ。
中で起こったことなんて
どうとでもごまかせるじゃん。
オレには知りようもないもんね」
「そんな……。
ホントなんだよ! 信じてよ!」
本当に、これっぽっちも
嘘なんてついてない。
あの個室であんなことを
言われてキスをされて、
たしかに一度は流された。
_秘めてた想いが呼び
覚まされたこともあって、
彼が求めるまま店を出て
ホテルに入ったけど。
でもホテルの部屋で二人に
なると、すぐに後悔した。
彼の奥さんの笑顔が頭から
離れなくて、自分で自分を
ひっぱたきたいくらい反省した。
――そう。
あたしは弱い人間だから、
きっと一生、彼を嫌いに
なることも忘れることも
できない。
_今だってまだ、心の
どこかで彼のことが好きだ。
だけどやっぱりあたしは、
もう彼の腕の中には戻れない。
本能だけでそれをしたら、
きっともう、“あたし”は
“あたし”じゃなくなるから。
(あたしは瑞樹クン
みたいに、まっすぐでも
強くもないけど。
だからこそせめて、自分が
正しいと信じることだけは
貫きたいよ)
瑞樹クンには、きっと
どれだけ頑張ったって
追いつけなんかしないけど。
_だけど――たとえ追いつけ
なかったとしても、ほんの
わずかな距離だったとしても。
少しでいいから、瑞樹クン
みたいになりたい。
あたしも彼みたいに、
自分の過去にも胸を
張れる生き方をしたい。
――そう思った時、
『ああ、あたしは本当に
課長とは終わったんだな』
って、実感した。
もうあたしは、課長とは
別の道を歩き出して
るんだってことを。
_だからその場ですぐに、
もう一度課長のそばには
いられないってことを
キチンと伝えて。
たくさんの『ありがとう』
と『ごめんなさい』を、
たった一言、『サヨナラ』
っていう言葉に乗せて。
ホテルの部屋に課長を
残して、あたしは一人、
飛び出したんだ。
あの夜本当に、あたし達の
2年間は終わった――…。
_(あたしがこういう答えを
出せたのは、ほとんど瑞樹
クンのおかげなのに。
その瑞樹クンに誤解される
なんて、絶対にイヤだよ……!!)
信じてほしい。
でも、どうやったら
信じてもらえるの?
一緒にホテルに入って
おいて、やっぱり何を
言っても信憑性なんて
ないのかな?
他の誰に、どう罵られても
かまわない。
だけど瑞樹クンにだけは、
本当のことを伝えたいのに――!!
_「ちょっ、莉央さん……!」
ものすごく唐突に名前を
呼ばれて、あたしはビクッ
と肩を震わせてしまった。
「え……な、なに……?」
さっきまで怒りに近い怖い
表情をしてた瑞樹クンが、
なぜか今は狼狽をあらわに
した顔をしてる。
一歩あたしへ歩み寄って
――でもやっぱり、戸惑う
ようにまた下がって。
普段の彼からは想像も
つかない困惑しきった
顔で、瑞樹クンは言った。
_「ナニ泣いてんだよ……。
やめてよ、こんなことで」
(え――――??)
その言葉に、そっと自分の
頬を指先で触れてみて、
初めて自分が泣いてた
ことに気づいた。
指先を濡らした涙は
熱くて、今もまだとどまる
ことなく流れてる。
「ゴ、ゴメン……。
やだ、あたしなんで……」
「こっちのセリフだよ。
泣くほどのことじゃないだろ」
_瑞樹クンはぶっきらぼうな
口調でそう言うけど。
「だけどあたし……瑞樹
クンにわかってほしくて。
どうしても信じてもらえ
ないのかなって思ったら、
なんか――」
悔しくて、悲しくて。
知らないうちに、涙が
あふれてた。
「どうしよ……なんか
止まんなくなってきた……」
泣いてる事を意識したら、
今まで以上に大粒の涙が
あふれてくる。
なんか、涙腺がどーにか
なっちゃったみたいだ。
_「………っ。…………っ」
もう声らしい声も出なくて
しゃくりあげるしかないあたし。
もどかしそうな瑞樹クンの
声がしたのはその時だった。
「ホントに……ホントなの?
課長と――戻ったんじゃ
ないって」
いつの間にか、声がさっき
より近い所から聞こえる。
片目の涙をぬぐって少し
顔を上げると、瑞樹クンは
あたしのすぐそばまで
歩み寄って来てた。
_あたしは必死で頷いて、
「課長には、そんなことを
言われて……ついホテル
まで行ったけど、あた、
あたしはすぐに、帰ってきた」
嗚咽のせいでうまく
しゃべれないけど、
懸命に説明する。
「ホントだよ。
キスはされたけど、
セックスはしてない」
そう伝えると、瑞樹クンは
困ったように苦笑して、
「バカ……。
そんなことまで言わなくて
いいって。
もう、わかったから」
_「瑞樹ク――…!」
バカッて言われたことより
かすかでも彼の笑顔が
見れたことで、あたしは
飛び上がりそうなくらい
嬉しかった。
――やっと、彼が笑ってくれた。
苦笑いだったけど、それは
もう――あたしの知る、
いつもの瑞樹クンのものだ。
「瑞樹クン……それじゃ……!?」
「あぁ。……信じるよ。
莉央さんにここまでの
泣き落としのテクがある
とは、とても思えないからね」
_「な……?
ひど、そんな言い方……!」
ホントに悲しくて泣いてたのに。
抗議の目線を向けたら、
彼は涙でうるんだままの
あたしの目元を、そっと
その細い指先でぬぐって、
「――冗談だよ、ゴメン。
まさか泣くだなんて思って
なかったから、オレだって
すっげー動揺したの。
だから許してよ。――ね?」
はにかんだ笑みを浮かべ、
優しさのあふれる穏やかな
声で、そう囁いた。
_「瑞樹クン――……」
……不思議だな。
彼が笑ってくれるだけで、
さっきまであんなに冷たく
凍えてたはずの心が、もう
ホワンとあったかくなってる。
――その笑顔に、とても
安堵してるあたしがいる。
『わかった、許すよ』って
答える代わりに、あたしも
彼にほほ笑みを返した。
それを見た瑞樹クンは
嬉しそうに笑って、
「――ね? オレに誤解
されるのは、そんなに
イヤだったの?」
_あたしの左耳に唇を
寄せて、吐息混じりに
そんなことを囁いてくる。
あたしはドキンと心臓が
飛び出しそうになりながら、
「そ、そうだよ……」
「ふぅん。――泣くくらい?」
「……な、泣くくらいだよ……」
イジワル。
後輩の前で泣くなんて
センパイとしては形無し
なんだから、そんなに
いじめないでよ……。
心の中ではそう思ってた
けど、それを口に出す
ことはできない。
_なぜって――
耳たぶにかかる熱い
吐息で、あたしの頭は
芯からしびれたみたいに
ジンジンし始めてたから。
「困ったセンパイだなー。
莉央さんに泣かれちゃ、
百戦錬磨の元ホストも
たちどころにヤラれ
ちゃうよ……?」
何言ってるのよ……。
そんなこと言う瑞樹クンの
方が、よっぽど困った
後輩じゃない――…。
これ以上彼の声を聞いて
たら、立ってられなくなりそう。
_そう思ったとき、まさに
心を読んだかのような
タイミングで、力強い腕が
あたしの腰を支えてくれる。
そして、今までより
いっそう甘い囁き声で、
「やっぱり莉央さんって、
カワイイね」
「バカ――またそんなこと
言って――…」
「だって、ホントだし。
オレ、もっと知りたい。
莉央さんのコト。
オレに見せてよ?
“センパイ”じゃない、
“オンナ”の顔――…」
_ドクン。
鼓動と共に、あたしの中で
何かが弾けた気がした。
瑞樹クンの腕が吸い寄せる
ようにあたしの体を
とらえ、ほとんどピッタリ
着きそうなくらい、二人は
至近距離で向き合ってる。
――今の言葉はどういう意味?
絡みあった視線がそらせない。
時間が止まって
しまったかのよう。
だけど、もちろんそれは錯覚。
_だってホラ……
時間が動いてる証拠に、
ゆっくりと瑞樹クンの顔が
あたしに近づいて来てる。
徐々に徐々に近くなって。
そしていつかのように、
唇と唇が触れそうな
距離にまで――…。
「すいませーん!
誰かここ、
使ってるんですかぁっ!?」
_「………………!!!!」
突然空気をつんざいた声と
ノックの音に、あたし達は
跳びはねるように離れた。
瑞樹クンが急いでドアの
方に走って、
「あ、す、すいませんっ、
今開けます!」
施錠を解いてドアを
開けると、そこにいたのは
総務の女のコで、
「え……柳瀬さん?////
どーしたんですか?
こんな所で鍵なんかかけて」
「あ、えーと……そう、
コンタクト落としちゃって!
探す間誰も来ないように、ね。
すいません、勝手に」
_かなりムリのある言い訳な
気がするけど、総務のコは
相手が瑞樹クンなんで緊張
し出したみたいで、
「あ、そ、そーなんですか。
で、見つかりました?」
「ええハイッ、たった今!
てなわけですぐ出て
行きますから!
んじゃ、お疲れ様でした〜」
彼女が戸惑ってるすきに
隣をすり抜け、あたし達は
逃げるようにその場を
走り去った――。
☆☆☆☆☆
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