☆☆☆☆☆
バレンタインが数日後に
まで迫ったある日。
その日のランチは前日に
誘われてて、沙織さんと
二人で会社近くのパスタの
お店に来てた。
「企画、順調そうで
よかったわね。
瑞樹クンもすっかり一人前だし。
莉央が頑張ったおかげね」
沙織さんが言ってくれた
通り、企画商品のネット
予約は順調に数を伸ばしてる。
_瑞樹クンももはやあたしの
サポートなんて不要な
くらい、なんでもできる
ようになってた。
でも、
「瑞樹クンのは、あたしの
力じゃないですよ」
あれはあたしの指導云々
より、ひとえに彼が優秀だから。
ところが沙織さんは
『そんなことないでしょ〜』
と笑って、
「あんた達、相性いい
みたいだし。
莉央が教育係だったから、
瑞樹クンもあそこまで
成長速かったんじゃない?」
_「はっ?」
予想もしてなかった
セリフに、あたしは口に
運びかけてたフォークを
ピタッと止めてしまう。
「あ、相性いいって、
どこがですか〜??(汗)」
みんなの前じゃ、しょーも
ないこと言う瑞樹クンに
あたしがプリプリしてる
だけだけど?
「いいでしょ?
なんだかだで仲よく
やってるじゃない」
「別に仲よくなんか
ないですよ!」
_あたしはムキになって
否定して、パスタを
バクッと口に入れた。
沙織さんはおかしそうに
クスクス笑いながら、
「まぁ、莉央の方が彼に
助けてもらった事も多いでしょ。
バレンタインには
お礼してあげなね♪」
そう言われて、ついまた
あの会議室でのことを思い出す。
(って、沙織さんはあの
こと知らないんだし、仕事
での話に決まってんでしょ!)
_甦りかけた記憶を追い
払って、あたしはブスッと
して答えた。
「まぁバレンタインは恒例
だし、一応あげますけどね。
そんな深い意味は込めて
ないですよ」
そう――毎年、部長や
課長他、絡むことの多い
男性社員には義理チョコ
配るのが風習になってるから。
課長とつき合ってる時も、
会社用の義理チョコは別に
用意して渡してた。
_今年に限って課長にだけ
渡さないのも不自然だし、
もちろん瑞樹クンにだけ
あげないのも不自然だし。
だから迷った結果、全員
全く同じチョコを、何日か
前に買ってある。
……課長に“ただの義理”
だってアピールする、
精一杯の手段だ。
「ふふっ。
まあそれでも、彼は喜ぶ
でしょうけどね。
なんか、甘いもの大好き
らしいわよ」
_沙織さんのセリフに
あたしは眉をヘの字にしながら、
「知ってます。あたしも
聞きましたから」
やっぱあのコ、色んな人に
アピールしてんじゃない。
まったく、あきれちゃう。
「そんなにアピって
どーするんだか。
集まり過ぎて、ホワイト
デーに破産するんじゃないの」
そう言うと、沙織さんも
プッと噴き出して、
「それは言えてる。
ホント、どーするつもり
かしらね」
_「お返し1個で、全員
ひとまとめとかに
するんじゃないですか〜」
「それだと株下がるわねー。
課長は毎年、一人一人に
プレゼント返してくれるもんね」
「……そーですね」
たしかに課長、そういう
ところはすごくマメで
気が利いてるんだよね。
去年は全員に、それぞれ
色の違う新作ルージュとか
くれたっけ……。
「課長は最後のバレン
タインだから、きっと
お返しもフンパツして
くれるだろうしねー」
_(――――え?)
沙織さんの何気ない
言葉に、あたしはピクッと
肩を震わせる。
……今、沙織さん、なんて
言った?
『最後のバレンタイン』、
って――…?
「……さ、最後って
どーゆーことですか?」
張りつめた声で尋ねると。
――沙織さんは、
『しまった』って感じで
顔をしかめた。
「え……な、なんなんですか?
教えてくださいよっ」
_あたしは思わず椅子を
立ち上がって沙織さんに
せまってしまう。
取り乱したら不自然だって
わかってても、抑えられ
なかった。
だけど沙織さんも自分
自身の失言で動揺してて、
あたしの態度はそんなに
気にならなかったみたい。
彼女は困り切った顔で
『あちゃ〜』と声をもらすと、
「まだ一般社員には秘密
だったの、すっかり忘れてたわ。
ゴメン莉央、聞かなかった
ことにしてくんない?」
_「え……イ、イヤですっ。
誰にも言いませんから、
教えてください!」
力を込めて頼むと、やっと
沙織さんは諦めてくれた。
「わかったわよ。
ホントにここだけの話に
してよね?」
と前置きしてから、
「課長、3月いっぱいで
辞めるんだよ。
発表は3月に入ってからの
予定なの」
「ウ……ウ、ソ……?」
後頭部に岩でも落ちてきた
ような感覚がして、目が
チカチカした。
_―――辞める?
課長が、この会社を?
「どっ、どーしてですかっ!?」
「そこまでは聞いてないけど。
あ、でもリストラではないわよ。
課長の希望だって」
(そんな……それじゃあ、
自分の意志で辞めるって
ことなの――!?)
そんな話、あたしとつき
合ってる時には一度だって
出たことなかった。
それなのにこんな急に、
どうして?
_(まさか――あたしのせい!?
あたしとのことが原因で、
自分が会社を去ろうと
してるの!?)
目の前が真っ暗に
なりそうだった。
あまりの衝撃に、表情を
取り繕うこともできない。
沙織さんに『どうしたの、
大丈夫?』って心配された
けど、まともに話をする
ことすら、あたしには
できなかった……。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
「課長――…」
必要以上に遅くまで残業
して、一人オフィスに残り。
重役会議から一人で戻って
きた課長をつかまえて、
声をかけた。
課長は驚きを隠せない顔で
一瞬言葉を失って、
「――松嶋か。
どうした、こんな時間まで
残ってたのか?」
“課長”の口調で、こんな
時間に社員が残ってたのを
驚いたフリしてるけど。
驚きのホントの理由は、
きっとあたしが自分から
声をかけたからだ。
_そう――別れて以来、
できる限り避けて、仕事
でも仕事外でも話をしない
ようにしてた。
でも、今回だけはきちんと
話をしないといけないって
思ったから、あたしは
決心したんだ。
(確かめなきゃいけない。
課長が会社を辞める理由を……)
そしてもし、それがあたし
から距離をおくためなら。
……その時は、あたしの
方が辞めよう。
そう、決めてた。
_「話が……あります。
少しだけ、時間
もらえませんか?」
その一言で、きっと課長は
察したんだと思う。
なんの質問をすることもなく、
「わかった。
もう少ししたら出れる
から、あの店で待っててくれ」
そう言うと、すぐに何事も
なかったようにオフィスに
入って行った。
もう帰る準備を整えてた
あたしも、振り返ることも
なく廊下を歩き出す。
_周りに悟られないように
こんなふうに接するのは、
つき合ってる時はごく
当たり前のことだった。
課長が『あの店』って
行ったのは、駅前の
繁華街にある洋風居酒屋。
居酒屋って言ってもオトナ
指向のオシャレな所で、
全室完全個室だから、
こんなあたし達でも
安心して使える。
だからいつも利用してた
店だった。
――その店で30分ほど
待ってると、課長が現れる。
_コートを脱いだ課長は
二人分のグラスワインを
オーダーし、店員が去ると、
「悪い。待たせたな」
「……いえ、大丈夫です……」
先に入ってあたしが待つの
なんて、いつものこと。
今さら謝ったりなんか
しなくていいのに。
――しばらくすると
ワインが運ばれてきて、
あたし達は再び二人きりになる。
それでもすぐには言葉を
出せないでいたら、課長が
ためらいがちにあたしの
名前を呼んだ。
_「莉央……話っていうのは
なんだ?」
「……………!」
あたし達をただの男と女に
する、禁断の言葉。
『莉央』っていう、
あたしの名前。
課長はわざとその言葉を
使ったのかもしれない。
卑怯な気もするし、
ためらってた心には
ありがたい気もする。
複雑な気持ちを抱き
ながら、あたしは意を
決して話し出した。
_「今日、沙織さんから
聞きました。
課長が、来月いっぱいで
会社を辞めるって」
「……やっぱりそのことか。
ったく、口止めしといたのにな」
「あたしがムリヤリ
聞いたんです。
だから沙織さんは
悪くありません」
そう沙織さんをかばうと
課長はフッと薄く笑って、
「別に本気で沙織君を
責めるつもりなんてないさ。
……それで?」
_彼の瞳がまっすぐに
あたしを見てる。
あたしは小さく深呼吸を
してから、
「どうして辞めるんですか?
理由を、教えてください」
そうして、あたしも
まっすぐに課長を見返した。
こんなふうに彼を正面から
見るのはどれくらいぶりだろう。
課長はすぐには返事をして
くれず、沈黙が流れる。
でもしばらくすると
ようやく、ハッキリと
した口調でこう言った。
_「自分のせいじゃないか
って思ってるなら、それは
違うと言っておくよ」
「ホント……ですか?」
嘘がうまい男の人だ。
あたしは騙されないように
注意深く彼を見つめる。
課長はそんなあたしに、
どこか挑戦するような
顔で言ってきた。
「本当だよ。
だけどもし、オレがそうだ
って言ったら、莉央は
どうするつもりなんだ?」
「……あたしが辞める
つもりです。
課長は会社に必要な人だから」
_みんなが頼りにする、
うちの部のリーダー。
そんな彼がいなくなる
なら、あたしが会社を
去った方がいい。
あたしの答えに、課長は
呆れたようなため息をつき
ながら、『やっぱりな』
ってつぶやいた。
「莉央ならそう言い出すと
思ってたよ。
だからよけい、秘密に
してたんだ」
「それじゃ、どうして?
何か他に理由があるんですか?」
あたしと別れてからの
数ヶ月で、長年勤めてきた
会社を辞める、どんな理由が?
_あたしは、テーブルの下で
ギュッと手を握りしめて
課長の返事を待ってた。
そんなあたしに彼が伝えた
のは――思ってもなかった言葉。
「モードを辞めて、自分で
会社を立ち上げる。
その準備に入るためだ」
「えっ―――…!?」
会社を、立ち上げる?
――起業するってゆーこと?
「ほ、本当にっ!?」
上擦った声で叫ぶ
あたしに、課長は頷いて、
_「本当だ。
何年か前から考えてた
ことなんだ。――言った
ことなかったけどな」
本当に。
そんなこと一言たりとも、
聞いたことなかった。
たしかに課長は、すごく
仕事のできる人だ。
起業してもうまくいくかも
しれない。
それにいい歳をした男の人
なら、そういう野心を
持つのも決して珍しいこと
じゃないのかもしれない
けど……。
_「会社を立ち上げるって
……そんな簡単にいくん
ですか……?」
あたしに彼を心配する資格
なんてないのはわかってる
けど、言わずにはいれなかった。
課長はハハッと笑って、
「もちろん簡単にはいかないさ。
だけど、自分がやって
みたいことだからな」
「……………」
なんて言っていいのか
わからない。
あたしとのことが原因じゃ
ないのなら、安心するべき
ところなのかもしれないけど。
_とても、『そうなんだ、
よかった』なんてホッと
する気分じゃなく――
あたしの胸はざわついてた。
「――心配して
くれるのか、莉央?」
その声に、あたしはハッと
して俯いてた顔をあげる。
うっすら微笑んであたしを
見てる課長と、再び目があった。
「心配なんて――…」
そんなこと聞かないでよ。
してるだなんて、答えられ
ないに決まってるのに。
_口ごもるあたしに、課長は
もっと意地悪な言葉を
投げかけてきた。
「ホントはな……漠然と
だけど、オレが起業する時
には、お前も一緒なんじゃ
ないかと思ってた」
「えっ!?」
それは、どういう意味?
あたしも、その仕事に誘う
つもりだったってこと?
「お前は本当に、公私共に
オレを支えてくれてた。
いつかオレが事業を始める
としても、当然のように、
莉央が隣でサポートして
くれてるんじゃないかって
考えてたよ」
_「な、何言って――…」
やっぱりひどい人だ、この人は。
今さらあたしにそんなこと
言って、なんになるって
いうのよ。
……なんにもならない。
あたし達の関係は
終わってるのに。
あなたを隣でサポートする
人は、別にいるじゃない。
それなのにまだ、どうして
そんなことを言うの――!?
「―――オレはな、莉央」
課長の声にかすかに緊張の
色が混じったのに、
あたしは敏感に気づいた。
――気づいてしまった。
_「オレは自分がどれだけ
最低で非道な人間かって
のを、よくわかってるよ。
死んだら絶対地獄行き
だって、覚悟してる」
(何――言ってるの?
やめてよ。
そんな話、聞きたくない!)
「数ヶ月後には子供が
生まれて、家庭での
幸せも守ろうとしてる。
いい父親を演じようとしてる。
でもその裏で、実は……」
「やめて!!
あた――あたしっ、もう
帰りますっ!」
_これ以上、聞いちゃいけない。
ここにいちゃいけない。
そう察して、コートと
バッグをつかんで立ち上がった。
すぐに部屋を飛び出そうとした。
だけど―――
その体は、課長の力強い
腕に引き止められ。
あたしは動きを、
止めてしまった。
「やだっ、離して――…!!」
掴まれた手を振り払おうと
するより速く、彼の両腕が
あたしを抱きすくめてる。
_「課長、やめてくださいっ!」
こんなことが、許される
わけない。
あたしは見たのよ。お腹に
手を当てて、幸せそうに
ほほ笑むあなたの奥さんを。
生まれてくる子供の
パパは、世界でたった
一人、あなたしか
いないんだよ!?
気づくとあたしの瞳からは
涙があふれてた。
それに気づいた課長は、
いましめは解かないまま
片手であたしの顔を上に向かせ、
「ホントにお前は――
マジメで一途で、かわいい
ヤツだな」
_「やめて……課長……!」
お願い。
もうこれ以上、あたしを
最低な人間にしないで。
「もう、潤とは呼んで
くれないのか?
どうしてもオレのそばに
いるのはムリなのか?」
「――ムリに決まってるでしょ!?
卑怯だよこんなの!!
お願い、離して。もう帰らせて」
涙でぼやける視界で懇願した。
悲しくて苦しくて、胸が
破れちゃいそうだった。
……課長の指が、あたしの
アゴをとらえる。
_十字架よりも重い、
解きたくても解けない、
最後の枷(かせ)だった。
「オレは知ってるよ。
莉央が、嘘が下手なこと。
不器用で純真で、寂しがりやで。
オレはやっぱり、そんな
お前が愛しいって思っちまう」
「ダメ………ダメ………!!
お願いよ、離して――!!」
「イヤだ―――…」
彼の唇が、あたしの唇を
ふさいだ時。
本能で覚えてる懐かしくて
甘い痺れが、あたしの体を
電流みたいに駆け抜けた。
_サイテーだ。
言葉とは裏腹に、体が
正直に反応してる。
それでも最初は必死で抵抗
したけど――キスが深く
なるにつれ、徐々に体にも
力が入らなくなってきて――…。
(……堕ちちゃうのかな、
あたし……)
もう決して戻ってこれない、
深い深い奈落の底まで。
鮮明さを失ってく意識の
中で、あたしはぼんやりと
そんなことを考えてた――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
瑞樹は、ホスト時代の
同僚がたまたま近くで
働いていることを知り、
懐かしい顔ぶれと繁華街で
飲み明かしていた。
さすがに元or現役ホストな
だけあって全員酒は強く、
もう2軒目だが全く
元気は衰えない。
結局もう1軒行こうという
ことになって、店を物色
しながら賑やかに通りを
歩いている時だった。
「―――――!?」
見慣れた人影が視界の隅を
よぎった気がして、瑞樹は
ピタッと足を止める。
_目を凝らして再び眺めると
――それはやはり、自分が
思ったとおりの人物だった。
(莉央さんと………課長!?)
瞬時に表現が険しくなる
のが、自分でわかった。
二人は明らかに二人きりで
課長の片腕は莉央の腰に
まわされている。
莉央も、課長に寄り添う
ようにしていた。
(何やってんだよ?
二人はもう終わった
はずじゃ……)
本心はどうあれ間違いなく
関係は終わってると、そう
莉央は言ってたのに。
_目がそらせなくなり、
二人の姿を目で追う。
瑞樹が見つめるなか
莉央達は通りを少し歩き、
雑居ビルの間にひっそりと
建つ、小さなシティ
ホテルに入って行った。
(って――何してんだよ、
莉央さん……)
苦い気持ちが体中に広がる
のを、瑞樹は感じていた。
「なんでだよ………?」
ポツリと落とした呟きを
耳にした仲間が、首を
かしげて尋ねてくる。
「あ? 何が?
てーかマジどこする?
オレ、焼酎飲みてーかなぁ〜♪」
_そのほろ酔いで上機嫌な
声が、今はもう腹立たしい
くらいにシラケて聞こえた。
「……悪い。
オレ、やっぱもう今日は帰るわ」
瑞樹は無表情にそれだけを
告げると、驚く仲間に
かまいもせずに、足早に
その場を立ち去った――…。
☆☆☆☆☆
_
バレンタインが数日後に
まで迫ったある日。
その日のランチは前日に
誘われてて、沙織さんと
二人で会社近くのパスタの
お店に来てた。
「企画、順調そうで
よかったわね。
瑞樹クンもすっかり一人前だし。
莉央が頑張ったおかげね」
沙織さんが言ってくれた
通り、企画商品のネット
予約は順調に数を伸ばしてる。
_瑞樹クンももはやあたしの
サポートなんて不要な
くらい、なんでもできる
ようになってた。
でも、
「瑞樹クンのは、あたしの
力じゃないですよ」
あれはあたしの指導云々
より、ひとえに彼が優秀だから。
ところが沙織さんは
『そんなことないでしょ〜』
と笑って、
「あんた達、相性いい
みたいだし。
莉央が教育係だったから、
瑞樹クンもあそこまで
成長速かったんじゃない?」
_「はっ?」
予想もしてなかった
セリフに、あたしは口に
運びかけてたフォークを
ピタッと止めてしまう。
「あ、相性いいって、
どこがですか〜??(汗)」
みんなの前じゃ、しょーも
ないこと言う瑞樹クンに
あたしがプリプリしてる
だけだけど?
「いいでしょ?
なんだかだで仲よく
やってるじゃない」
「別に仲よくなんか
ないですよ!」
_あたしはムキになって
否定して、パスタを
バクッと口に入れた。
沙織さんはおかしそうに
クスクス笑いながら、
「まぁ、莉央の方が彼に
助けてもらった事も多いでしょ。
バレンタインには
お礼してあげなね♪」
そう言われて、ついまた
あの会議室でのことを思い出す。
(って、沙織さんはあの
こと知らないんだし、仕事
での話に決まってんでしょ!)
_甦りかけた記憶を追い
払って、あたしはブスッと
して答えた。
「まぁバレンタインは恒例
だし、一応あげますけどね。
そんな深い意味は込めて
ないですよ」
そう――毎年、部長や
課長他、絡むことの多い
男性社員には義理チョコ
配るのが風習になってるから。
課長とつき合ってる時も、
会社用の義理チョコは別に
用意して渡してた。
_今年に限って課長にだけ
渡さないのも不自然だし、
もちろん瑞樹クンにだけ
あげないのも不自然だし。
だから迷った結果、全員
全く同じチョコを、何日か
前に買ってある。
……課長に“ただの義理”
だってアピールする、
精一杯の手段だ。
「ふふっ。
まあそれでも、彼は喜ぶ
でしょうけどね。
なんか、甘いもの大好き
らしいわよ」
_沙織さんのセリフに
あたしは眉をヘの字にしながら、
「知ってます。あたしも
聞きましたから」
やっぱあのコ、色んな人に
アピールしてんじゃない。
まったく、あきれちゃう。
「そんなにアピって
どーするんだか。
集まり過ぎて、ホワイト
デーに破産するんじゃないの」
そう言うと、沙織さんも
プッと噴き出して、
「それは言えてる。
ホント、どーするつもり
かしらね」
_「お返し1個で、全員
ひとまとめとかに
するんじゃないですか〜」
「それだと株下がるわねー。
課長は毎年、一人一人に
プレゼント返してくれるもんね」
「……そーですね」
たしかに課長、そういう
ところはすごくマメで
気が利いてるんだよね。
去年は全員に、それぞれ
色の違う新作ルージュとか
くれたっけ……。
「課長は最後のバレン
タインだから、きっと
お返しもフンパツして
くれるだろうしねー」
_(――――え?)
沙織さんの何気ない
言葉に、あたしはピクッと
肩を震わせる。
……今、沙織さん、なんて
言った?
『最後のバレンタイン』、
って――…?
「……さ、最後って
どーゆーことですか?」
張りつめた声で尋ねると。
――沙織さんは、
『しまった』って感じで
顔をしかめた。
「え……な、なんなんですか?
教えてくださいよっ」
_あたしは思わず椅子を
立ち上がって沙織さんに
せまってしまう。
取り乱したら不自然だって
わかってても、抑えられ
なかった。
だけど沙織さんも自分
自身の失言で動揺してて、
あたしの態度はそんなに
気にならなかったみたい。
彼女は困り切った顔で
『あちゃ〜』と声をもらすと、
「まだ一般社員には秘密
だったの、すっかり忘れてたわ。
ゴメン莉央、聞かなかった
ことにしてくんない?」
_「え……イ、イヤですっ。
誰にも言いませんから、
教えてください!」
力を込めて頼むと、やっと
沙織さんは諦めてくれた。
「わかったわよ。
ホントにここだけの話に
してよね?」
と前置きしてから、
「課長、3月いっぱいで
辞めるんだよ。
発表は3月に入ってからの
予定なの」
「ウ……ウ、ソ……?」
後頭部に岩でも落ちてきた
ような感覚がして、目が
チカチカした。
_―――辞める?
課長が、この会社を?
「どっ、どーしてですかっ!?」
「そこまでは聞いてないけど。
あ、でもリストラではないわよ。
課長の希望だって」
(そんな……それじゃあ、
自分の意志で辞めるって
ことなの――!?)
そんな話、あたしとつき
合ってる時には一度だって
出たことなかった。
それなのにこんな急に、
どうして?
_(まさか――あたしのせい!?
あたしとのことが原因で、
自分が会社を去ろうと
してるの!?)
目の前が真っ暗に
なりそうだった。
あまりの衝撃に、表情を
取り繕うこともできない。
沙織さんに『どうしたの、
大丈夫?』って心配された
けど、まともに話をする
ことすら、あたしには
できなかった……。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
「課長――…」
必要以上に遅くまで残業
して、一人オフィスに残り。
重役会議から一人で戻って
きた課長をつかまえて、
声をかけた。
課長は驚きを隠せない顔で
一瞬言葉を失って、
「――松嶋か。
どうした、こんな時間まで
残ってたのか?」
“課長”の口調で、こんな
時間に社員が残ってたのを
驚いたフリしてるけど。
驚きのホントの理由は、
きっとあたしが自分から
声をかけたからだ。
_そう――別れて以来、
できる限り避けて、仕事
でも仕事外でも話をしない
ようにしてた。
でも、今回だけはきちんと
話をしないといけないって
思ったから、あたしは
決心したんだ。
(確かめなきゃいけない。
課長が会社を辞める理由を……)
そしてもし、それがあたし
から距離をおくためなら。
……その時は、あたしの
方が辞めよう。
そう、決めてた。
_「話が……あります。
少しだけ、時間
もらえませんか?」
その一言で、きっと課長は
察したんだと思う。
なんの質問をすることもなく、
「わかった。
もう少ししたら出れる
から、あの店で待っててくれ」
そう言うと、すぐに何事も
なかったようにオフィスに
入って行った。
もう帰る準備を整えてた
あたしも、振り返ることも
なく廊下を歩き出す。
_周りに悟られないように
こんなふうに接するのは、
つき合ってる時はごく
当たり前のことだった。
課長が『あの店』って
行ったのは、駅前の
繁華街にある洋風居酒屋。
居酒屋って言ってもオトナ
指向のオシャレな所で、
全室完全個室だから、
こんなあたし達でも
安心して使える。
だからいつも利用してた
店だった。
――その店で30分ほど
待ってると、課長が現れる。
_コートを脱いだ課長は
二人分のグラスワインを
オーダーし、店員が去ると、
「悪い。待たせたな」
「……いえ、大丈夫です……」
先に入ってあたしが待つの
なんて、いつものこと。
今さら謝ったりなんか
しなくていいのに。
――しばらくすると
ワインが運ばれてきて、
あたし達は再び二人きりになる。
それでもすぐには言葉を
出せないでいたら、課長が
ためらいがちにあたしの
名前を呼んだ。
_「莉央……話っていうのは
なんだ?」
「……………!」
あたし達をただの男と女に
する、禁断の言葉。
『莉央』っていう、
あたしの名前。
課長はわざとその言葉を
使ったのかもしれない。
卑怯な気もするし、
ためらってた心には
ありがたい気もする。
複雑な気持ちを抱き
ながら、あたしは意を
決して話し出した。
_「今日、沙織さんから
聞きました。
課長が、来月いっぱいで
会社を辞めるって」
「……やっぱりそのことか。
ったく、口止めしといたのにな」
「あたしがムリヤリ
聞いたんです。
だから沙織さんは
悪くありません」
そう沙織さんをかばうと
課長はフッと薄く笑って、
「別に本気で沙織君を
責めるつもりなんてないさ。
……それで?」
_彼の瞳がまっすぐに
あたしを見てる。
あたしは小さく深呼吸を
してから、
「どうして辞めるんですか?
理由を、教えてください」
そうして、あたしも
まっすぐに課長を見返した。
こんなふうに彼を正面から
見るのはどれくらいぶりだろう。
課長はすぐには返事をして
くれず、沈黙が流れる。
でもしばらくすると
ようやく、ハッキリと
した口調でこう言った。
_「自分のせいじゃないか
って思ってるなら、それは
違うと言っておくよ」
「ホント……ですか?」
嘘がうまい男の人だ。
あたしは騙されないように
注意深く彼を見つめる。
課長はそんなあたしに、
どこか挑戦するような
顔で言ってきた。
「本当だよ。
だけどもし、オレがそうだ
って言ったら、莉央は
どうするつもりなんだ?」
「……あたしが辞める
つもりです。
課長は会社に必要な人だから」
_みんなが頼りにする、
うちの部のリーダー。
そんな彼がいなくなる
なら、あたしが会社を
去った方がいい。
あたしの答えに、課長は
呆れたようなため息をつき
ながら、『やっぱりな』
ってつぶやいた。
「莉央ならそう言い出すと
思ってたよ。
だからよけい、秘密に
してたんだ」
「それじゃ、どうして?
何か他に理由があるんですか?」
あたしと別れてからの
数ヶ月で、長年勤めてきた
会社を辞める、どんな理由が?
_あたしは、テーブルの下で
ギュッと手を握りしめて
課長の返事を待ってた。
そんなあたしに彼が伝えた
のは――思ってもなかった言葉。
「モードを辞めて、自分で
会社を立ち上げる。
その準備に入るためだ」
「えっ―――…!?」
会社を、立ち上げる?
――起業するってゆーこと?
「ほ、本当にっ!?」
上擦った声で叫ぶ
あたしに、課長は頷いて、
_「本当だ。
何年か前から考えてた
ことなんだ。――言った
ことなかったけどな」
本当に。
そんなこと一言たりとも、
聞いたことなかった。
たしかに課長は、すごく
仕事のできる人だ。
起業してもうまくいくかも
しれない。
それにいい歳をした男の人
なら、そういう野心を
持つのも決して珍しいこと
じゃないのかもしれない
けど……。
_「会社を立ち上げるって
……そんな簡単にいくん
ですか……?」
あたしに彼を心配する資格
なんてないのはわかってる
けど、言わずにはいれなかった。
課長はハハッと笑って、
「もちろん簡単にはいかないさ。
だけど、自分がやって
みたいことだからな」
「……………」
なんて言っていいのか
わからない。
あたしとのことが原因じゃ
ないのなら、安心するべき
ところなのかもしれないけど。
_とても、『そうなんだ、
よかった』なんてホッと
する気分じゃなく――
あたしの胸はざわついてた。
「――心配して
くれるのか、莉央?」
その声に、あたしはハッと
して俯いてた顔をあげる。
うっすら微笑んであたしを
見てる課長と、再び目があった。
「心配なんて――…」
そんなこと聞かないでよ。
してるだなんて、答えられ
ないに決まってるのに。
_口ごもるあたしに、課長は
もっと意地悪な言葉を
投げかけてきた。
「ホントはな……漠然と
だけど、オレが起業する時
には、お前も一緒なんじゃ
ないかと思ってた」
「えっ!?」
それは、どういう意味?
あたしも、その仕事に誘う
つもりだったってこと?
「お前は本当に、公私共に
オレを支えてくれてた。
いつかオレが事業を始める
としても、当然のように、
莉央が隣でサポートして
くれてるんじゃないかって
考えてたよ」
_「な、何言って――…」
やっぱりひどい人だ、この人は。
今さらあたしにそんなこと
言って、なんになるって
いうのよ。
……なんにもならない。
あたし達の関係は
終わってるのに。
あなたを隣でサポートする
人は、別にいるじゃない。
それなのにまだ、どうして
そんなことを言うの――!?
「―――オレはな、莉央」
課長の声にかすかに緊張の
色が混じったのに、
あたしは敏感に気づいた。
――気づいてしまった。
_「オレは自分がどれだけ
最低で非道な人間かって
のを、よくわかってるよ。
死んだら絶対地獄行き
だって、覚悟してる」
(何――言ってるの?
やめてよ。
そんな話、聞きたくない!)
「数ヶ月後には子供が
生まれて、家庭での
幸せも守ろうとしてる。
いい父親を演じようとしてる。
でもその裏で、実は……」
「やめて!!
あた――あたしっ、もう
帰りますっ!」
_これ以上、聞いちゃいけない。
ここにいちゃいけない。
そう察して、コートと
バッグをつかんで立ち上がった。
すぐに部屋を飛び出そうとした。
だけど―――
その体は、課長の力強い
腕に引き止められ。
あたしは動きを、
止めてしまった。
「やだっ、離して――…!!」
掴まれた手を振り払おうと
するより速く、彼の両腕が
あたしを抱きすくめてる。
_「課長、やめてくださいっ!」
こんなことが、許される
わけない。
あたしは見たのよ。お腹に
手を当てて、幸せそうに
ほほ笑むあなたの奥さんを。
生まれてくる子供の
パパは、世界でたった
一人、あなたしか
いないんだよ!?
気づくとあたしの瞳からは
涙があふれてた。
それに気づいた課長は、
いましめは解かないまま
片手であたしの顔を上に向かせ、
「ホントにお前は――
マジメで一途で、かわいい
ヤツだな」
_「やめて……課長……!」
お願い。
もうこれ以上、あたしを
最低な人間にしないで。
「もう、潤とは呼んで
くれないのか?
どうしてもオレのそばに
いるのはムリなのか?」
「――ムリに決まってるでしょ!?
卑怯だよこんなの!!
お願い、離して。もう帰らせて」
涙でぼやける視界で懇願した。
悲しくて苦しくて、胸が
破れちゃいそうだった。
……課長の指が、あたしの
アゴをとらえる。
_十字架よりも重い、
解きたくても解けない、
最後の枷(かせ)だった。
「オレは知ってるよ。
莉央が、嘘が下手なこと。
不器用で純真で、寂しがりやで。
オレはやっぱり、そんな
お前が愛しいって思っちまう」
「ダメ………ダメ………!!
お願いよ、離して――!!」
「イヤだ―――…」
彼の唇が、あたしの唇を
ふさいだ時。
本能で覚えてる懐かしくて
甘い痺れが、あたしの体を
電流みたいに駆け抜けた。
_サイテーだ。
言葉とは裏腹に、体が
正直に反応してる。
それでも最初は必死で抵抗
したけど――キスが深く
なるにつれ、徐々に体にも
力が入らなくなってきて――…。
(……堕ちちゃうのかな、
あたし……)
もう決して戻ってこれない、
深い深い奈落の底まで。
鮮明さを失ってく意識の
中で、あたしはぼんやりと
そんなことを考えてた――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
瑞樹は、ホスト時代の
同僚がたまたま近くで
働いていることを知り、
懐かしい顔ぶれと繁華街で
飲み明かしていた。
さすがに元or現役ホストな
だけあって全員酒は強く、
もう2軒目だが全く
元気は衰えない。
結局もう1軒行こうという
ことになって、店を物色
しながら賑やかに通りを
歩いている時だった。
「―――――!?」
見慣れた人影が視界の隅を
よぎった気がして、瑞樹は
ピタッと足を止める。
_目を凝らして再び眺めると
――それはやはり、自分が
思ったとおりの人物だった。
(莉央さんと………課長!?)
瞬時に表現が険しくなる
のが、自分でわかった。
二人は明らかに二人きりで
課長の片腕は莉央の腰に
まわされている。
莉央も、課長に寄り添う
ようにしていた。
(何やってんだよ?
二人はもう終わった
はずじゃ……)
本心はどうあれ間違いなく
関係は終わってると、そう
莉央は言ってたのに。
_目がそらせなくなり、
二人の姿を目で追う。
瑞樹が見つめるなか
莉央達は通りを少し歩き、
雑居ビルの間にひっそりと
建つ、小さなシティ
ホテルに入って行った。
(って――何してんだよ、
莉央さん……)
苦い気持ちが体中に広がる
のを、瑞樹は感じていた。
「なんでだよ………?」
ポツリと落とした呟きを
耳にした仲間が、首を
かしげて尋ねてくる。
「あ? 何が?
てーかマジどこする?
オレ、焼酎飲みてーかなぁ〜♪」
_そのほろ酔いで上機嫌な
声が、今はもう腹立たしい
くらいにシラケて聞こえた。
「……悪い。
オレ、やっぱもう今日は帰るわ」
瑞樹は無表情にそれだけを
告げると、驚く仲間に
かまいもせずに、足早に
その場を立ち去った――…。
☆☆☆☆☆
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