《完》オフィスに鍵をかけて 〜キケンな部下と秘密の恋〜

     ☆☆☆☆☆



だいぶ時間が経ってから
オフィスに戻ると。




課長のデスクは空席。




そしてあたしの席の
隣では、瑞樹クンが何事も
なかったような顔で、
キビキビとデスクワークしてた。




「……………」




どうしよう……。さっきの
あたしの行動を、不審に
思ってないわけがないよね。




だけどここではみんなが
いるから、何もなかった
ように振る舞ってるのかな……?



_「瑞樹クン、あの……」




おずおずと声をかけると
――意外にもあたしの声を
遮るように、今度は彼の
方から言葉をかぶせてきた。




「遅いですよ、莉央さん。
どこ行ってたんですか。

――ハイこれ、さっきの
交渉でもぎ取った、予算
削減バージョンの見積もり」




「あ、ありがと……」




ピッと目の前に差し
出された紙を反射的に
受け取って、力のない声で
お礼を言うあたし。



_瑞樹クンはそんなあたしを
一瞬だけチラッと見て。




やや間をあけた後で、少し
声のトーンを落として続けた。




「……宇佐美課長、
早退したんで。

押印は明日でいいですよね」




「………あ、うん。
そうだね……」




普通の声を装ったつもり
だったけど、やっぱり
かすかに声が震えた。




瑞樹クンはそれっきり特に
何も言わず、またデスク
ワークに取りかかる。



_それからはあたしも押し
黙ったまま仕事をして、
いつの間にか終業の時間に
なろうとしてた。




残業してやるべきことは
いくらでもあるけど、
今日は精神的にそんな
気分になれない。




どうしようかって迷って
たら、突然、瑞樹クンが
声をかけてきた。




「莉央さん。

実はオレ、予約開始後の
流れでちょっとわかんない
とこあるんだよね。

よかったら今日、残って
教えてもらえません?」



_「え? 今日?」




「ウン。早い方がいいだろーし。

ダメかな?」




口調は下手に確認してる
けど、なんかその瞳には
『NO』って言えない強い
光がある。




あたしは仕方なく頷いて、




「……いいわよ。

で、何がわからないの?」




「んー。ここじゃ気が散る
から、どっか移動できないかな。

そーだ、最初の頃研修で
使ってた、あの小さい
会議室とか」



_「B会議室?

そりゃ、空いてれば
使えると思うけど……」




わざわざ別室まで行く
ほどのことなの? って
思ったけど。




それを質問するスキを
与えず、瑞樹クンは
『わかった』って言うと、
さっさと会議室の空きを
見に出て行ってしまう。




そしてすぐに戻ってきて、
空いてたって教えてくれた。




「――そう。じゃあ、行こっか」



_結局押し切られる形で、
瑞樹クンと一緒に
B会議室に移動した。




静かな空間の中で、資料を
見ながらしばらく彼の
質問に答える。




1時間ほど経ったところで
それは終わり、




「よし。じゃあこれで、
もうわからない事はないよね?」




「ウン、よくわかった♪

ありがとー、莉央さん」




「別にお礼なんていいよ。

それじゃあ、今日はもう
帰ろっか」



_そう言って、机の上を
片付けようと腰を浮かした時。




瑞樹クンの鋭い声が、
あたしの動きをさえぎった。




「あ、ちょっと待って。

もう一つだけ、聞きたい
ことあるから」




「え――…?」




『聞きたいこと』って
言われただけだけど。




その、さっきまでとは全然
違うシリアスな口調で、
あたしはすぐに気づく。



……彼が聞こうとしてる
のは、仕事のことじゃないって。



_「―――な、なに?」




続きを聞くのは怖かった。


でも他に言いようも
なくて、引きつった笑みを
浮かべてそう返事すると……。




「――昼間のこと。

そろそろ、聞いてもいいよね?」




「……………!」





やっぱり、思ったとおり。



あんな不自然な行動
しといて、気にならない
わけないよね。




だけど彼なりの気遣いで、
仕事が終わるまでは聞く
のを待っててくれた。
――そういうことなのかな。



_「あの、えっと………」




言い訳を考えてなかった
わけじゃない。




なのになぜか瑞樹クンを
前にすると、その嘘を
スラスラと口にすることが
できなかった。




口ごもるあたしに、瑞樹
クンは静かな声で、




「宇佐美課長の奥さんには
適当にごまかしといたよ。

んでオレが課長を呼びに
行って、その後すぐに
二人で帰ってった」




「そ、そう……」



_奥さんには不審がられて
ないってわかって、少し
だけ安心する。




だけど同時に、肩を並べて
仲良く帰ってく姿を想像
しちゃって、キュッと
胸が痛んだ。





「ホントはさ。

前から少し、気になって
たんだよね。

莉央さんも課長も、時々
なんかぎこちないし」




「え………!?」




あたしはギクッとして
瑞樹クンを見た。



_(ウソ……もしかして、
気づいてるの!?)




「だけど、今日ので確信
しちゃったかも。

課長にも、莉央さんといる
時に奥さんに出くわした、
って言ったらギョッとしてたし」




「か、課長に言ったのっ!?」




頭を殴られたみたいな
ショックだった。




そんな――知られたく
なかったのに。




奥さんと対面して、
あたしがブザマに
逃げ出しただなんて。



_瑞樹クンを責めるなんて
お門違いだってわかってる。




だけどどうしても、非難
するような目を向けてしまう。




そんなあたしを、瑞樹
クンはまっすぐに見返してきた。




そして、なぜか少しだけ
苦痛を感じるように頬を
ゆがめながら、




「言ったよ。
だって実際そうだったし。

隠すなんておかしいじゃん」




「そ、それはそうだけど……」



_「悪いけどオレには、
莉央さんの事情につき合う
理由がないから。

理由も聞いてないのに、
隠し事につき合うなんて
ゴメンだからね」




「―――――!!」




その言葉は突き刺すように
あたしの胸にささる。



でも、ただ傷ついた
からじゃない。



その言葉が胸にささるのは
――それが、図星だからだ。




(瑞樹クンの言うとおりだ……)



_後ろめたいのは、あたしだけ。



隠さなきゃいけないような
ことをしてた、あたし達が悪い。




なんの関係もない瑞樹
クンに配慮を期待する
なんて、あたしの方が
虫がよすぎるよ。




「ゴメン……」




情けなさでいっぱいに
なりながら、低い声で謝った。




恥ずかしすぎて瑞樹クンの
顔もまともに見れない。




俯いてるあたしの耳に、
フッと、彼の短いため息が届く。



_そして、さっきとは打って
変わった穏やかな口調で、




「わかってくれればいいよ。

ゴメンね。どーにもオレ、
嘘つくのって苦手でさ」




「ううん。瑞樹クンが謝る
必要なんてない」




嘘が苦手で、思ったことを
すぐ口にしちゃう。


……そんな素直な性格が、
うらやましいな。




そんなふうに素直で
いられるのは、瑞樹クンが
誰にも恥ずかしくない
生き方をしてる証拠。



_あたしもそんなふうに、
正面から胸を張れたら――…。





(……やめよう。

こんなこと考えたって、
なんの意味もないよ)




あたしの過去は、
消せないんだから。




無意識のうちにプルプルと
頭を振ってたあたしは、
ふと、すぐそばに人の
気配が強くなったのを
感じて顔をあげた。



――ある程度距離をあけて
隣に座ってたはずの瑞樹
クンが、いつの間にか
すごく近くにいてドキッとする。



_「み、瑞樹クン……?」




たじろぐあたしを正面から
見据えて、彼は、静かな
声で聞いてきた。




「――それで?

もう、教えてよ。

莉央さんと、課長のコト」




「瑞樹クン――…」




今さら話す必要もない
くらい、きっと瑞樹クンは
全部気づいてると思うん
だけどな。




でも……そうだよね。



あたし自身が、
ちゃんと話さなきゃ。



_あたしは胸の中でひそかに
決心して、軽く息を
吸ってから話し出した。




「瑞樹クンが考えてる通りだよ。

少し前まで、つき合ってたの。
不倫ってヤツだよ」




『サイテーだよね』って
つけ加えて、あたしは
自嘲ギミに笑った。




どうしてなのかわかんない
けど、なぜだか笑いが
あふれて止まらない。




だけどもちろん瑞樹クンが
一緒になって笑ったりする
ことはなくて。



_彼は感情のわからない無表情で、




「やっぱり、そーか」




ポツリと、そうつぶやく。




「瑞樹クン鋭いから、
お見通しだったんだね。

一応、誰にもバレて
ないんだけど」




「オレだって、今日までは
確信があったわけじゃ
ないけどね。

でもそっか……今はもう、
違うんだ?」




「ウン。

今はもう、お互い納得の
うえで別れてる。

だけどやっぱり、何事も
なかったようにはいかなくてさ」



_「それで、奥さんからも
逃げちゃった……?」




聞きながら、瑞樹クンは
背中を丸めてあたしの顔を
下から覗き込んできた。




彼のキレイな顔が近く
なって、あたしは心臓が
トクンと跳ねるのを感じる。




「ウ、ウン。情けないでしょ。

それに迷惑もかけちゃって
ゴメンね。

軽蔑していいよ、バカな
センパイだって」



_早口でまくし立てると、
瑞樹クンはちょっと驚いた
ように目を丸くして、




「軽蔑なんてしないよ。

そりゃまぁ不倫とか、
個人的にはどーかなって
思うタイプだけどね。


だけど誰だって、好き
このんで不倫なんてしない
だろーし」




『そうならざるをえない
事情が、莉央さん達にも
あったんでしょ』。




瑞樹クンは、そう言葉を続ける。



_(ありがと―――優しいん
だね、瑞樹クン)




たとえそれが本心じゃ
ないにしても、今のあたし
にはすごく嬉しい言葉だった。



あたしを理解しようと
してくれてる、その言葉が。





「それにさ。

実を言うとオレも、清廉
潔白な恋愛以外はダメだ!
なんて言えるほどキレイな
身でもないんだよね」




「え………?」




意外なセリフにビックリ
したけど、すぐにあたしは
思い出す。



_(もしかして、前の仕事の
ことを言ってるのかな……?)




瑞樹クンの前職――
ホストの仕事。




あれはいわば、女のコの
恋心を利用してお金儲け
してるわけだもんね。




ただ――あたしには
やっぱり、こんなに素直で
まっすぐな瑞樹クンが
ホストやってたなんて話、
信じられないんだけど……。




「瑞樹クン……昔ホスト
やってたっていうの、
ホントなの?」



_思い切って尋ねると、
瑞樹クンは一瞬の間の後
肩をすくめて笑った。




「なんだ、知ってたんだ。

ミチさん達から聞いた?」




「ウン……ゴメン」




「別にいいよ。
口止めしてたわけじゃないし。

――ホントだよ。

ハタチの頃から、先月までね」




「そう――なんだ――…」




やっぱり、ホントだったんだ。




「あんなアコギなこと
やってたんだからね。

オレにも、偉そうに莉央
さんを説教する資格なんて
ないってこと」



_そう言うと、瑞樹クンは
目を細めて恥ずかしそうに
ヘヘッと笑った。




だけどしばらく笑うと、
その笑みをフッとかき消して、




「だけどそのおかげでさ。

オレ、女のコの心情には
だいぶ敏感になったんだよね。

莉央さんの様子がおかしい
のに気づいたのも、それでかも」




「あは……そうかもね。

2年間誰にもバレなかった
のに、新人の瑞樹クンに
バレちゃうんだもん」



_あたしは曖昧に笑って
そう答える。





―――その時。




頬をかすめるように
フワッと、ささやかな
風が起こった。




ハッとした次の瞬間……
思いがけない状況に、
あたしは心臓が止まり
そうなくらい驚く。





……風を起こしたのは、
瑞樹クンの掌。




そのヒンヤリと冷たい
指先が、そっと……
あたしの頬に触れてて――…。




「みみ、瑞樹ク――!?」



_あまりの動揺にまともに
声も出なかった。




体は石になったみたいに
固まっちゃってる。




そんなあたしの頬に触れた
まま、瑞樹クンは囁く
ように言った。




「だから、オレには
わかるんだよね。

莉央さん――ホントは
まだ、課長のことが忘れ
られてないんでしょ?」




(え――――!?)




声にはならなかったけど、
すごくドキリとした。



_瑞樹クンはどこか神秘的な
光をたたえた瞳で、話を続ける。




「まだ好きなんじゃない?

課長のこと。

だからなかなか、
ふっ切れない――」




「……そんな……こと……」




ようやく声に出せたのに、
結局また語尾は途切れて
しまった。




――『そんなことないよ』。




そう言おうと思ったのに、
言えなくて。




そう……あたし自身、もう
とっくに気づいてるからだ。



_そんな言葉は、ただの強がり。





そうだよ。――あたしは
まだ、ふっ切れてない。



あたしは今でも、
課長のことを……。





――だけどやっぱりそれを
口に出すのはためらわれた
から、あたしは黙ってた。




瑞樹クンはあたしの
気持ちを察してくれた
のか、それ以上は答えを
求めてこない。




その代わり彼は、吐息が
触れるくらいあたしの
耳元に唇を寄せて、こう囁いた。



_「よかったら―――

課長のこと、オレが忘れ
させてあげよっか?」




「……………!?」




自分の耳を疑って――
瞬時に胸がすごい
速さで打ち出す。




「な、なに言って……!?」




「あれ、オレのこと
信用できない?

オレ、女のコの扱いは
うまいよ?」




(上手・ヘタじゃなくて……

ど、どういうつもりで
言ってんの!?)



_この状況が信じられない。




瑞樹クンが、課長のことを
忘れさせる?


それってどーゆーイミ!?




瑞樹クンがこんなこと言う
なんて、ウソだよね――!?





「……莉央さん、頬が熱いよ?

もしかしてドキドキしてる?」




あたしの心をあざ笑うかの
ように響く、瑞樹クンの
楽しそうな声。



それにその中に見え隠れ
する、甘い響き――…。



_あたしはなんだか、熱に
浮かされたみたいに頭が
ボーッとしてきた。




どうしていいかもわから
なくて、ただ、瑞樹クンに
触れられるまま。




すると彼は椅子から立ち
上がって、あたしの膝に
体が触れるくらいの距離で
あたしの隣に屈み込み――…、




「オレに任せとけば大丈夫だよ。

すぐに、課長のことなんか
どうでもよくして
あげるからさ――」




そして彼の顔が、グッと
あたしの目の前に迫って――…。



_「ダッ、ダメーーッ!!」




唇が触れるか触れないかの
距離で。




ようやくあたしはそう
叫んで、弾かれたように
立ち上がった。




ガタッと椅子から数歩
とびのいて、瑞樹クンとの
距離をとる。



そして、キョトンとした
顔でこっちを見てる
瑞樹クンに向かって、




「ダ、ダメだよこーゆーのはっ!

好きでもないのに、ダメ!

それにここ、会社だしっ」




ほとんどひっくり返った
声で、わめくみたいに
そう言った。



_だって、こんなことで好き
だった人を忘れるなんて
間違ってるもの。



あたしにはそんなこと、
できない――。






必死の思いで言ったセリフ
だったのに。




瑞樹クンは、パチッと1回
瞬きをすると――火が
ついたかのように、急に
プッと笑い出した。




(え、え………!!?)




ア然とするあたしの前で、
彼はさらにアハハと笑い続けて、




「よかった。

やっと、莉央さんらしい
声が出たね♪」



_「な、な……!?」




「そうそう、莉央さんは
そーやって元気な方が
似合ってるよ。

弱々しいのなんて莉央さん
らしくない」




瑞樹クンはそんなことを
言いながら何事もなかった
ように立ち上がって、
スーツの膝についた埃を
パンパンと払ってる。





――混乱してたあたしも、
徐々に状況が飲み込めてきた。




(もしかして、わざと
あんなことを?)




あたしを、『元気』にする
ために?



_(――本気じゃ、
なかったんだ――…)




ホッとしたような、
気が抜けたような。




複雑な内心を隠すために、
あたしは必要以上に大声で
彼に食ってかかった。




「な、なにが“元気”よ!

こんなの元気とは言わない
でしょっ!?」




すると瑞樹クンは悪びれた
感じもなくまた笑って、




「そう?

大丈夫大丈夫、いっぱい
メシ食って腹の底から
声出してたら、そのうち
元気になるって。

うちのばーちゃん、
いっつもそう言ってたから」



_「はぁ!? ばーちゃんって
……あのねぇっ!?」




(おばあさんの教えを守る
のはいいけど、試すなら
もっとマシなやり方に
してよぉ〜っ!)




心の中で悲痛な叫びを
上げて、あたしはへなへな
とその場に崩れそうになる。




と、瑞樹クンが素早い
動きであたしの腕をとって
支えてくれて、




「……ゴメンね、そんなに
ビックリしたんだ。

まさか本気にするとは
思わなくてさ」



_「……………」




………本気にしたわよ。



だってあんなに真剣な目で
見られたら、もしかしたら
…って思っちゃうじゃない。




「ふふっ、ホントに莉央
さんはカワイイなぁ♪

オレが元ホストだって
知ってんでしょ?

あれくらいサラッと
言えなきゃ、ホストなんて
やってらんないよ?」




そう言うと、瑞樹クンは
あたしを見下ろして
イタズラッぽく笑った。



――その背後に、悪魔の
しっぽが見えたみたいな
気がする。



_「………もうっ、知らないっ!!」




あたしは投げつけるように
そう言うと、持って来てた
書類を乱暴につかんで、
ドスドスと出口に歩き出す。




「あ、待ってよ!

オレも戻るって!」




瑞樹クンがあわてて後ろを
追いかけて来たけど、
ゼッタイに振り返って
なんかやらなかった。





     ☆☆☆☆☆



_