☆☆☆☆☆
なりゆき的に動き出した、
ホワイトデーの新企画。
悲しいことに一旦動き
出してしまえば、それは
もう止まらない。
てゆーのも、ホワイトデー
前から商品を発売するため
には、スケジュールは
超ギリギリ。
かなりの急ピッチで進め
なきゃいけない、急ぎの
仕事なんだ。
_あたしと瑞樹クンの他に
3人のデザイナーが選出
されて、チームは5人
体制になり。
指令が下ったその日から、
あたし達は超ハード
スケジュールになった。
今日も残業して、全員で
商品ラインナップなんかの
検討会議。
ここまでの段階で、男性
にも買いやすいアウターや
ファッション小物を
メインに、十数種類に
絞ろうってとこまで決まってた。
_後は、それを売り出してく
ための具体的な戦略だけ
なんだけど……。
なかなかこれだっていう
案が出なくて、会議の
進行はちょっと行き
詰まっちゃってた。
「うーん。
根本的に、宣伝にかける
時間もロクにないですからねぇ。
これで戦略考えろって
ゆーのがそもそも厳しい気が」
デザイナーの一人、美和が
そんなことを言う。
_「それ言っちゃ元も子も
ないでしょ、美和。
今からできる範囲で
最上級のことを考えるしか
ないんだから」
一応リーダー&先輩らしく
たしなめるけど、じゃあ
いい案があるのかって
言ったら、あたしも頭
抱えるしかないんだけどね。
ほとほと悩んでたとき、
おずおずと切り出したのは
瑞樹クンだった。
_「あの、ちょっといいかな?
オレ、イマイチよくわかん
ないから聞くんだけど――」
「ん? なに?」
「えっと、宣伝にかける
時間がないってのは、CM
流したりとか広告作ったり
とか、そーゆー時間ってこと?」
その質問に、あたしは即頷いて、
「そうだよ。
どっちも、3月に発売だと
したら去年から手打っとか
ないと絶対ムリだから」
_仮に今からでも間に合うと
したら、ラジオCMくらいかな。
でもいまどきラジオCM
なんて、たいして宣伝
効果があるとは思えない。
かといって店頭告知だけ
でも不十分なのは明らかで。
だからこんなに、頭
悩ませてるんじゃない。
――質問は終わったと
思って再び思案に入り
かけたあたしの耳に、
何気ない瑞樹クンの声が
飛び込んできた。
_「えと――じゃあさ、
ネットは?」
「え…………?」
ピクン、と。
バラバラな方向を向いてた
メンバーが、一斉にその
声に反応する。
全員の視線を受けて一瞬
たじろぎながらも、瑞樹
クンは思い切ったように続けて、
「各レーベルのサイトって
あったよね?
ストロベリーのサイトで
宣伝はできないの?
てゆーか、思い切って
ネット限定とかでも
おもしろいんじゃない
かって思うんだけど」
_「ネット限定――…」
なんか、目からウロコが
落ちたような気がした。
(それ、カンペキに
盲点だったかも……)
たしかにストロベリー
ガールズのサイトはある。
でもうちは全国各地の
ショッピングセンターに
小さめのテナントを出すの
が基本の販売形態だから、
サイトはついで程度で、
店舗情報やセール情報を
UPしてる程度だった。
_新商品情報も載せるけど、
目立つような載せ方じゃない。
そもそもオンライン
ショッピングをやってない
から、ネット限定販売
なんて思いもつかなかった
けど……。
「確かにそれなら、時間は
なんの問題もないね……!」
美和が言うと、すかさず
もう一人のデザイナー、
アヤが次の言葉を発した。
「でも、そんなのできるのかな?
ネット販売は全くして
なかったんだよ?」
_「販売じゃなくっても
いいんじゃないかな。
ネット限定予約、とか。
商品は店頭渡しにして、
サイズ交換とかは各店舗で
対応するの」
これはあたしの発言。
それを聞くと、一同の
どよめきは一気に増した。
「それいい!
それならたいして前準備も
いらないし、上にも通り
安そう!」
「だね。
いっそのこと数量限定とか
にして、プレミア感つける
ってのもどう!?
そーゆーのって一旦火が
つけば浸透速いじゃん」
_ほんの数分前まで重苦しく
悩んでたのが嘘みたいに、
みんなの口から次々に
新しいアイデアが出てくる。
まるで夢でも見てる
みたいな気分だった。
あたし達は一気に高く
なったテンションで話し
合いを続け……1時間後
にはだいたいの方針が
まとまってた。
全員に向かって、瑞樹
クンがさらにもう一言
つけ加える。
_「あと、宣伝は男だけじゃ
なく、むしろ女のコを
ターゲットにやった方が
いいんじゃないかと思う。
プレミアとかに飛びつく
のも口コミで情報流す
のも、ダンゼン女のコでしょ?
女のコの間で話題になれば
彼氏におねだりする子も
いるだろうし、彼女の
ために絶対ゲットして
やろう、って男も増えると
思うんだよね」
「なるほどね……たしかに
そうかも」
_的を得た意見に、全員が
感心したように首を縦に振った。
まさに、男のコの瑞樹
クンにしか出せない意見。
その意見もしっかり決定
事項に入れて、あたし達は
会議を終える。
「じゃあさっそく明日
から、あたしと瑞樹クンで
最後の煮詰めとプレゼン
資料の作成、
みんなはデザインの開始ね。
しばらくハードが続くけど
がんばろう!」
_最後にそう気合いを
入れて、あたし達は解散した。
――それからまた数日後。
ホワイトデー企画はもの
すごいペースで進み、
あっという間に具体的な
形になってた。
プレゼンで、企画はほぼ
手直し無しで通り、商品の
デザインも半分以上が完成。
そうするとあたし達の次の
仕事は、社内各部署への
業務の依頼になる。
_雑誌やマスコミへの働き
かけ、店頭POPの作成は
広報部へ。
サイトでの宣伝や予約
フォームの管理は、
WEB開発部へ。
社内全体を巻き込んで
動く企画に、あたしは
疲れも忘れてのめり込んでた。
――そんな、2月を間近に
ひかえたある日。
本当に思いがけず、
“その人”は、やって
来たんだ――…。
_――あたしは瑞樹クンと
一緒に取引先に行ってて、
外から会社に帰ってきた
とこだった。
うちの会社は複合ビルの
中にあるから、建物自体
にはそれこそ不特定多数の
人間が出入りする。
その日エレベーターから
オフィスのある階に降り
立つと――そこに、一人の
女の人が立ってた。
その人を見てあたしは
すぐに、『この人、階を
間違えたんだ』って思う。
_だってその人はゆるい
ラインの私服にほとんど
ノーメイクで、およそ
関係者には見えないし。
それに本人も、ソワソワ
しながら不安そうな顔で
あたし達を見てるもん。
「あの――どちらを
お尋ねですか?
このフロアは
株式会社モードですが」
お節介かとも思ったけど
そう声をかけると、女の
人は曖昧な顔ではにかんだ。
_「あ、はい、知ってます。
でもあの……ここまで
上がってきたらまずかった
でしょうか?」
「………は?」
思わぬ切り返しに、
あたしはマヌケな声を
あげてしまった。
すると瑞樹クンがあたしに
代わり、彼女に話しかける。
「失礼ですが関係者の方ですか?
うちの人間と何かお約束でも?」
_「あ、ハイ。
あの、私ここに勤めてる
者の親族なんです。
エントランスで待ち合わせ
してたんですが、時間に
なっても来なくて。
おまけにうっかり携帯の
充電が切れちゃったので、
ここで待ってた方が確実に
会えるかと思ったん
ですけど……」
そう言って、女の人は
心細そうに周りをキョロ
キョロと見回す。
「待ち合わせ?
この時間にですか?」
「ハイ。
一緒に病院に行くので、
主人は早退の予定なんです」
_病院と聞いて、あたしは
瞬時にハッと気づいた。
そっか……ラフな服装だと
思ってたけど、この人、
妊婦さんだ。
よく見るとお腹のラインが
ふっくらしてる。
そしてそれを察すると
同時に、恐れに近い不安が
ムクムクと黒雲のように
わいてきた。
(まさか、ね……。
奥さんが妊娠中の社員
なんて、何人かいたって
おかしくないし――)
_言い聞かせるように心の
中でそうつぶやいて。
できれば今すぐ、『ここで
待ってていいですよ』って
言って立ち去っちゃいたかった。
でも、あたしの内心なんて
知るよしもない瑞樹クンが、
「そっか。それなら、
オレ達がご主人に伝えて
きますよ。
仕事が延びてるんだったら
すぐに来れるかどうかは
わかんないけど……」
勝手にそんなこと言って、
『いいですよね?』って
顔であたしを見る。
_(ちょっと、やめてよ……
マジで?)
顔が強張ってくのが
ハッキリとわかった。
声は出ない。
そんなあたしを瑞樹クンは
怪訝な顔で見たけど、
しばらくするともう一度
女の人に向き直って、
「オレが行ってきますから。
ええと、どこの部の
なんていう人です?」
女の人は心底安心した
ように大きく息をついて、
「ありがとうございます。
でも、お恥ずかしいことに
部署名はちょっとわから
ないんですけど……」
_(やめてよ!
言わなくていいってば!)
そう思ってるのに、彼女の
唇から目が離せなかった。
心臓がバクバクいってる。
その音に支配されながら
硬直してるあたしの前で、
彼女は言葉を続けた。
「女性向けのブランドの
課長だって聞いてます。
名前は、宇佐――……」
「―――――!!!」
_次の瞬間、あたしは駆け
出してた。
オフィスには戻れない。
となったら進める所なんて
限られてて、通路を走って
結局トイレに駆け込む。
個室のドアをバタンと
乱暴に閉じて、そこに
背中をあずけた。
ハアハアと、驚くくらい
息が荒い。
でもこれは走ってきたから
じゃない。
抑えようのない感情の
奔流が、体の中を
うごめいてるから。
_(サイアクだ――…)
本当に、聞く前に逃げる
べきだった。
嫌な予感はしてたくせに、
あたしのバカ。
ホラ……彼女の声がもう、
耳から離れないじゃない。
―――彼女が、宇佐美
課長の奥さん。
課長とおそろいの結婚
指輪をつけてる人。
課長の子供をお腹の中に
宿してる人。
課長の隣に寄り添って、
一緒に笑うこと、生きる
ことを認められてる人――…。
_「……こんなとこまで、
来ないでよ……!」
ノドの奥からもれた声は
震えてて、涙声だった。
……神様のイジワル。
どうしてわざわざ、あんな
姿の彼女を見せつけるの?
黙って身をひいたのに、
まだ、あたしの罪は許されない?
あたしのしてたことは、
そんなに罪深いの??
(こんなにミジメな思いを
しなきゃいけないなら……
二度と人なんて、好きに
ならない……!)
_ハラハラと頬を伝う涙を
拭いもせず。
あたしは声を殺して、
その場でひとしきり泣き続けた。
☆☆☆☆☆
_
なりゆき的に動き出した、
ホワイトデーの新企画。
悲しいことに一旦動き
出してしまえば、それは
もう止まらない。
てゆーのも、ホワイトデー
前から商品を発売するため
には、スケジュールは
超ギリギリ。
かなりの急ピッチで進め
なきゃいけない、急ぎの
仕事なんだ。
_あたしと瑞樹クンの他に
3人のデザイナーが選出
されて、チームは5人
体制になり。
指令が下ったその日から、
あたし達は超ハード
スケジュールになった。
今日も残業して、全員で
商品ラインナップなんかの
検討会議。
ここまでの段階で、男性
にも買いやすいアウターや
ファッション小物を
メインに、十数種類に
絞ろうってとこまで決まってた。
_後は、それを売り出してく
ための具体的な戦略だけ
なんだけど……。
なかなかこれだっていう
案が出なくて、会議の
進行はちょっと行き
詰まっちゃってた。
「うーん。
根本的に、宣伝にかける
時間もロクにないですからねぇ。
これで戦略考えろって
ゆーのがそもそも厳しい気が」
デザイナーの一人、美和が
そんなことを言う。
_「それ言っちゃ元も子も
ないでしょ、美和。
今からできる範囲で
最上級のことを考えるしか
ないんだから」
一応リーダー&先輩らしく
たしなめるけど、じゃあ
いい案があるのかって
言ったら、あたしも頭
抱えるしかないんだけどね。
ほとほと悩んでたとき、
おずおずと切り出したのは
瑞樹クンだった。
_「あの、ちょっといいかな?
オレ、イマイチよくわかん
ないから聞くんだけど――」
「ん? なに?」
「えっと、宣伝にかける
時間がないってのは、CM
流したりとか広告作ったり
とか、そーゆー時間ってこと?」
その質問に、あたしは即頷いて、
「そうだよ。
どっちも、3月に発売だと
したら去年から手打っとか
ないと絶対ムリだから」
_仮に今からでも間に合うと
したら、ラジオCMくらいかな。
でもいまどきラジオCM
なんて、たいして宣伝
効果があるとは思えない。
かといって店頭告知だけ
でも不十分なのは明らかで。
だからこんなに、頭
悩ませてるんじゃない。
――質問は終わったと
思って再び思案に入り
かけたあたしの耳に、
何気ない瑞樹クンの声が
飛び込んできた。
_「えと――じゃあさ、
ネットは?」
「え…………?」
ピクン、と。
バラバラな方向を向いてた
メンバーが、一斉にその
声に反応する。
全員の視線を受けて一瞬
たじろぎながらも、瑞樹
クンは思い切ったように続けて、
「各レーベルのサイトって
あったよね?
ストロベリーのサイトで
宣伝はできないの?
てゆーか、思い切って
ネット限定とかでも
おもしろいんじゃない
かって思うんだけど」
_「ネット限定――…」
なんか、目からウロコが
落ちたような気がした。
(それ、カンペキに
盲点だったかも……)
たしかにストロベリー
ガールズのサイトはある。
でもうちは全国各地の
ショッピングセンターに
小さめのテナントを出すの
が基本の販売形態だから、
サイトはついで程度で、
店舗情報やセール情報を
UPしてる程度だった。
_新商品情報も載せるけど、
目立つような載せ方じゃない。
そもそもオンライン
ショッピングをやってない
から、ネット限定販売
なんて思いもつかなかった
けど……。
「確かにそれなら、時間は
なんの問題もないね……!」
美和が言うと、すかさず
もう一人のデザイナー、
アヤが次の言葉を発した。
「でも、そんなのできるのかな?
ネット販売は全くして
なかったんだよ?」
_「販売じゃなくっても
いいんじゃないかな。
ネット限定予約、とか。
商品は店頭渡しにして、
サイズ交換とかは各店舗で
対応するの」
これはあたしの発言。
それを聞くと、一同の
どよめきは一気に増した。
「それいい!
それならたいして前準備も
いらないし、上にも通り
安そう!」
「だね。
いっそのこと数量限定とか
にして、プレミア感つける
ってのもどう!?
そーゆーのって一旦火が
つけば浸透速いじゃん」
_ほんの数分前まで重苦しく
悩んでたのが嘘みたいに、
みんなの口から次々に
新しいアイデアが出てくる。
まるで夢でも見てる
みたいな気分だった。
あたし達は一気に高く
なったテンションで話し
合いを続け……1時間後
にはだいたいの方針が
まとまってた。
全員に向かって、瑞樹
クンがさらにもう一言
つけ加える。
_「あと、宣伝は男だけじゃ
なく、むしろ女のコを
ターゲットにやった方が
いいんじゃないかと思う。
プレミアとかに飛びつく
のも口コミで情報流す
のも、ダンゼン女のコでしょ?
女のコの間で話題になれば
彼氏におねだりする子も
いるだろうし、彼女の
ために絶対ゲットして
やろう、って男も増えると
思うんだよね」
「なるほどね……たしかに
そうかも」
_的を得た意見に、全員が
感心したように首を縦に振った。
まさに、男のコの瑞樹
クンにしか出せない意見。
その意見もしっかり決定
事項に入れて、あたし達は
会議を終える。
「じゃあさっそく明日
から、あたしと瑞樹クンで
最後の煮詰めとプレゼン
資料の作成、
みんなはデザインの開始ね。
しばらくハードが続くけど
がんばろう!」
_最後にそう気合いを
入れて、あたし達は解散した。
――それからまた数日後。
ホワイトデー企画はもの
すごいペースで進み、
あっという間に具体的な
形になってた。
プレゼンで、企画はほぼ
手直し無しで通り、商品の
デザインも半分以上が完成。
そうするとあたし達の次の
仕事は、社内各部署への
業務の依頼になる。
_雑誌やマスコミへの働き
かけ、店頭POPの作成は
広報部へ。
サイトでの宣伝や予約
フォームの管理は、
WEB開発部へ。
社内全体を巻き込んで
動く企画に、あたしは
疲れも忘れてのめり込んでた。
――そんな、2月を間近に
ひかえたある日。
本当に思いがけず、
“その人”は、やって
来たんだ――…。
_――あたしは瑞樹クンと
一緒に取引先に行ってて、
外から会社に帰ってきた
とこだった。
うちの会社は複合ビルの
中にあるから、建物自体
にはそれこそ不特定多数の
人間が出入りする。
その日エレベーターから
オフィスのある階に降り
立つと――そこに、一人の
女の人が立ってた。
その人を見てあたしは
すぐに、『この人、階を
間違えたんだ』って思う。
_だってその人はゆるい
ラインの私服にほとんど
ノーメイクで、およそ
関係者には見えないし。
それに本人も、ソワソワ
しながら不安そうな顔で
あたし達を見てるもん。
「あの――どちらを
お尋ねですか?
このフロアは
株式会社モードですが」
お節介かとも思ったけど
そう声をかけると、女の
人は曖昧な顔ではにかんだ。
_「あ、はい、知ってます。
でもあの……ここまで
上がってきたらまずかった
でしょうか?」
「………は?」
思わぬ切り返しに、
あたしはマヌケな声を
あげてしまった。
すると瑞樹クンがあたしに
代わり、彼女に話しかける。
「失礼ですが関係者の方ですか?
うちの人間と何かお約束でも?」
_「あ、ハイ。
あの、私ここに勤めてる
者の親族なんです。
エントランスで待ち合わせ
してたんですが、時間に
なっても来なくて。
おまけにうっかり携帯の
充電が切れちゃったので、
ここで待ってた方が確実に
会えるかと思ったん
ですけど……」
そう言って、女の人は
心細そうに周りをキョロ
キョロと見回す。
「待ち合わせ?
この時間にですか?」
「ハイ。
一緒に病院に行くので、
主人は早退の予定なんです」
_病院と聞いて、あたしは
瞬時にハッと気づいた。
そっか……ラフな服装だと
思ってたけど、この人、
妊婦さんだ。
よく見るとお腹のラインが
ふっくらしてる。
そしてそれを察すると
同時に、恐れに近い不安が
ムクムクと黒雲のように
わいてきた。
(まさか、ね……。
奥さんが妊娠中の社員
なんて、何人かいたって
おかしくないし――)
_言い聞かせるように心の
中でそうつぶやいて。
できれば今すぐ、『ここで
待ってていいですよ』って
言って立ち去っちゃいたかった。
でも、あたしの内心なんて
知るよしもない瑞樹クンが、
「そっか。それなら、
オレ達がご主人に伝えて
きますよ。
仕事が延びてるんだったら
すぐに来れるかどうかは
わかんないけど……」
勝手にそんなこと言って、
『いいですよね?』って
顔であたしを見る。
_(ちょっと、やめてよ……
マジで?)
顔が強張ってくのが
ハッキリとわかった。
声は出ない。
そんなあたしを瑞樹クンは
怪訝な顔で見たけど、
しばらくするともう一度
女の人に向き直って、
「オレが行ってきますから。
ええと、どこの部の
なんていう人です?」
女の人は心底安心した
ように大きく息をついて、
「ありがとうございます。
でも、お恥ずかしいことに
部署名はちょっとわから
ないんですけど……」
_(やめてよ!
言わなくていいってば!)
そう思ってるのに、彼女の
唇から目が離せなかった。
心臓がバクバクいってる。
その音に支配されながら
硬直してるあたしの前で、
彼女は言葉を続けた。
「女性向けのブランドの
課長だって聞いてます。
名前は、宇佐――……」
「―――――!!!」
_次の瞬間、あたしは駆け
出してた。
オフィスには戻れない。
となったら進める所なんて
限られてて、通路を走って
結局トイレに駆け込む。
個室のドアをバタンと
乱暴に閉じて、そこに
背中をあずけた。
ハアハアと、驚くくらい
息が荒い。
でもこれは走ってきたから
じゃない。
抑えようのない感情の
奔流が、体の中を
うごめいてるから。
_(サイアクだ――…)
本当に、聞く前に逃げる
べきだった。
嫌な予感はしてたくせに、
あたしのバカ。
ホラ……彼女の声がもう、
耳から離れないじゃない。
―――彼女が、宇佐美
課長の奥さん。
課長とおそろいの結婚
指輪をつけてる人。
課長の子供をお腹の中に
宿してる人。
課長の隣に寄り添って、
一緒に笑うこと、生きる
ことを認められてる人――…。
_「……こんなとこまで、
来ないでよ……!」
ノドの奥からもれた声は
震えてて、涙声だった。
……神様のイジワル。
どうしてわざわざ、あんな
姿の彼女を見せつけるの?
黙って身をひいたのに、
まだ、あたしの罪は許されない?
あたしのしてたことは、
そんなに罪深いの??
(こんなにミジメな思いを
しなきゃいけないなら……
二度と人なんて、好きに
ならない……!)
_ハラハラと頬を伝う涙を
拭いもせず。
あたしは声を殺して、
その場でひとしきり泣き続けた。
☆☆☆☆☆
_


