《完》オフィスに鍵をかけて 〜キケンな部下と秘密の恋〜

     ☆☆☆☆☆



広報部での挨拶を終えて、
次は総務部に向かうために
社内を移動してると。




廊下を歩いてる最中に、
唐突に柳瀬クンが話し
かけてきた。




「あの、さっきは
すいませんでした。

なんかオレのせいで
騒がしくなっちゃって」




「……………!」




それまでは仕事に関する
話しかしてなかったのに、
ホント急であたしは一瞬
言葉につまっちゃう。



_でもすぐに気を取り
直して、極力落ち着いた
声を意識しながら、




「……もういいよ。

まぁ、今度からあーゆー
冗談はやめといてくれれば。

うちの若いコ達は、まだ
まだノリが学生だからさ」




「そーみたいですね。
気をつけます。

でも――さっきのは別に
冗談じゃないですよ?」




「………はっ!?」




ああ、せっかく冷静ぶって
たのに、一瞬で声が
上擦ってるよ(涙)



_冗談じゃなかったら……
じゃあなんだって言うのよ!?




「松嶋センパイこそ、
高校生みたいに顔真っ赤に
して必死になってたから、
なんかかわいい人だなー
って思って。

オレ、思ったことはすぐ
口に出ちゃうんですよね」




「なっ、なっ………!」




頭にカーッと血が
のぼってくのがわかる。




『高校生』!?



『かわいい』!!?



_「……そっ、そーゆー
発言をやめろって言って
るんでしょっ!!」




結局あたしはまた、顔を
真っ赤にして大声をあげる
ハメになってた。




廊下でいきなり叫んだもん
だから、柳瀬クンも
ギョッとして、




「す、すいませんっ。

でもあの、冗談だって
誤解されてるのもアレかな
と思って――」



_「そんなのどっちだって
いいわよっ。

まったく……みんなの前で
そんなこと言ってたら、
また変に騒がれるわよ!?」




「ゴメンナサイ……」




ひたすら謝る柳瀬クンに、
あたしはようやく少し
落ち着きを取り戻して、
大きく息をはいた。




(ホントにもー、カンベン
してよぉ〜。

このコ、自分のルックス
自覚して言ってんのぉ?)



_またどっと疲れた気が
して、歩きながらなんか
どんどん背中が丸まって
るんじゃないかって思っちゃう。




その背中に、柳瀬クンが
背後からまたこりずに
呼びかけてきた。




「あ、そーいえば……」




(今度はナニッ?)




内心軽く構えながら
黙って振り返ると、




「ここって、みんな名前で
呼び合ってんですね。

オレみたいに“センパイ”
とか、誰も言ってない感じ?」



_「ん? あ、まあ……そうね」




たしかにうちの部はみんな
仲よくて、下の名前で
呼び合ってる。


誰も、“センパイ”なんて
言うコはいないな。




「それじゃあオレも名前で
呼んでもいいですか?

莉央さん、でしたよね?」




「え…………」




ドキン。




……まただ。




もぉ……どーしちゃった
のよ、あたしの心臓!?



_名前呼ばれたくらいで、
何をそんなに動揺してんの??




「……いいわよ、別に」




あたしはけっこうな間を
置いて、やっと普通の声の
トーンで返事した。




部の風習からすれば、ダメ
って言う理由なんてないし
こう答えるしかない。




それを聞いた柳瀬クンは、
ホッとしたようにフワッと
笑って、




「ありがとうございます、

莉央さん」



って言った。




_そして独り言みたいに
続けて、



「オレのことも、みんな
“瑞樹”って呼んで
くれるかな〜」



なんてつぶやいてる。





あたしはそんな彼から
そっと目をそらして、
もう一度小さくため息を
ついた――…。





     ☆☆☆☆☆



_     ☆☆☆☆☆



1時間ほど残業して、
言われてた柳瀬クンの
研修スケジュールを考えて
まとめあげた。




ちなみに、柳瀬クンは
定時で帰ってる。




他にも半分くらいのコは
もう帰ってて、オフィスは
昼間よりはだいぶ静かに
なってた。





「――よし、これでいいや」




プリントアウトした紙を
最後にホチキスでとめて、
あたしはすぐに席を立つ。



_オフィスの奥の方に独立
してる宇佐美課長の席まで
歩いて行って、




「課長。

研修スケジュール、できました」




そう言って作った資料を
差し出すと、課長は明るい
顔でパッとあたしを見上げた。




「お、できたか。お疲れさん。

急に言いけて悪かったなー。
すっかり残業になっちまったな」




「――いえ、別に……」




たしかに急ではあった
けど、1時間程度の残業、
そんなに珍しいことでもない。



_課長はすぐに資料に目を
通し始めて、ザッと全体を
見終わると、




「そうだな、だいたいは
こんな感じでいいだろう。

ただ、松嶋はこういうの
初めてだからな。

2、3話しておきたい
ことがある。

もうちょっとだけ、時間
いいか?」




「え………?」




てっきり資料提出して
終わると思ってたから、
戸惑った声をもらすと。



_課長は
『そんな顔するなよ』って
言わんばかりに苦笑して、



「たいして時間はとらないよ。

そうだな……急な残業の
お詫び代わりに、コーヒー
でもおごってやるから。

な?」




言って、オフィスの出口
の方を指でクイッと示す。



外にある、自販機と休憩
スペースを指してるんだろう。




どうしよう……。




返答に困ってたら、少し
離れた所から別の声が
飛んできた。



_「遠慮しないでおごって
もらっときな、莉央。

これから1ヶ月大変なん
だから、コーヒー1杯じゃ
安すぎるくらいよ〜」




「沙織さん……」




声の主は、同じく残ってた
チーフの沙織さんだ。




あたしが遠慮してるって
思ったのか……。





沙織さんのセリフを
受けて、課長も水を得た
ように大きく頷いて、



「そーゆーことだ。

さ、行くか」



_そう言って席を立つと、
あたしがついて来るか
確認もしないでサッサと
歩き出した。




「あ………!」




もう……あたしまだ、行く
なんて言ってないのに。




だけど、課長はもう出口の
辺りまで歩いて行っちゃってる。




(もう……一体どーゆー
つもりなのよ!)




あたしは渋々、課長の後を
追いかけた。



_二人とも廊下に出てから、
課長は初めて振り返って
あたしがついてきてるのを
確認して。




同じ階にある休憩室に
着くと、自販機でホット
コーヒーを2つ買った。





時間が時間だし、休憩室は
あたし達以外誰もいない。




課長はいくつかある
テーブルの一番手近な
所に座って、




「まぁ、お前も座れ」




そう言って、勝手に自分の
向かいの席にあたしの分の
コーヒーを置く。



_あたしは無言でその席に
座り、コーヒーから立ち
のぼる湯気を見つめた。




「――そんな顔するなって。

飲めよ。

これはホントに、残業の
お詫びだから」




「…………」




『これは』って、なによ。




じゃあ、ここまで連れて
来た理由は、別にあるって
ゆーの……?




「研修についての話なら、
あそこで続ければよかった
んじゃないですか……?」



_――ようやく。




あたしはそれだけを、低い
くぐもった声で言った。




課長はその質問には答え
なくて、短い沈黙が流れる。




やがて静かに長い息を
つきながら、課長は
ポソリと呟くように言った。




「二人きりになっても――

もう、敬語でしか話して
くれないんだな――…」




「……………!!」




_あたしは膝の上に置いた
手にギュッと力を込めた。



言葉は出ない。




なんて言っていいのか
わかんない。





――敬語でしか話さない、
って……。


……当たり前じゃん。



だってあたし達は、
“課長”と“部下”なんだよ?




こうやって接する以外、
どうしろってゆーのよ……。






――そんなあたしの心の
声が、課長に届いたのか
どうかはわかんない。



_課長はコーヒーを一口
飲むと、そのカップを
テーブルに戻して、




「別れた男と一緒に働く
のは、そんなに苦痛か……?」




って。




あたしには絶対言って
欲しくなかった、禁断の
コトバを、投げかけた。




「――やめて……下さい。

そーゆー言い方……」




それしか、言えない。




_……ひどいよ、課長。




あたし達は、ただの
“上司”と“部下”だって。




そういう関係に戻ったん
だって、必死で言い聞かせ
ながら、あたしは毎日
仕事してるのに。





――もちろん、わかってる。




まだ完全に割り切って
接することができなくて、
自分の態度が不自然に
なってることは。




だけど、それでも――


そんなセリフは言わないで
ほしかった。



_“昔のオトコ”としての
表情を、二度とあたしの
前ではしてほしく
なかったのに――…。






……ギュッと手を握り
しめたまま、俯いてる
だけのあたしに。




課長はためらいつつも、
次の言葉を発した。




「だけど……心配だろ。

いつもオレを避けるように
してるし、態度だって
ぎこちないし……」




――当たり前でしょ。

別れてまだ数ヶ月だよ?



そんなに簡単に、何事も
なかったように話なんて
できるわけないじゃない。



_「ほっとけないよ。

莉央は、オレの大事な
部下でもあるんだ。


オレ、莉央には本当に
感謝してて――…」




「莉央って呼ばないで!」




我慢できなくて、反射的に
そう叫んでた。




「その呼び方は、
もうダメだよ……!」




課長が下の名前を呼び
捨てにするのは、二人で
会ってるときだけだった。




“課長”としての“宇佐美
潤”は、あたしのこと
『松嶋』としか呼ばないん
だから……。



_「―――悪い」




重苦しい空気の中、課長は
低くそう謝った。




動揺の現れか、テーブルの
上で左手の人差し指を
トントンとやり出す。




手持ちぶさたになったり
冷静さが欠けてくると
こうして指を動かすのは、
昔からの癖だ。




だけど――ヤだな、なんて皮肉。




音に反応してついそっちを
見ちゃったあたしの目に
飛び込んできたのは、
左手の薬指で鈍い光を
放つリング。



_もう何年もそこにあって、
しっかりとなじんでる。




――彼の、結婚指輪。





(もう、ホントにダメだ、
こんなの。

本当にあたし達は、ただの
仕事仲間に戻らなきゃ――…!)





「――もう、心配なんて
してくれなくてけっこうです。

あたしは、大丈夫ですから」




声が震えそうになるのを
必死で抑えてそう言うと、
あたしは立ち上がった。



_そのまま脇目もふらず
出口に歩き出した背中に、
『あっ、待てよっ!』って
声がかかる。




だけどもう、あたしは
振り返りもしない。




一目散にオフィスに戻ると
荷物をつかんで、飛び出す
ように会社を出た。





外に出ると、1月の切り
つけるように冷たい風が
肌を突き刺す。




急いでて閉めてなかった
コートの前を閉めて、
ストールを巻いて。



_何事もなかったように
颯爽と歩こうって、必死に
胸を張った。





――宇佐美課長とは、
最初から不倫だった。




20歳で入社したときから
ずっとあたしの上司だった
彼と、23歳の頃に
つき合い出した。




奥さんがいるのは知ってる。


でも、ずっと憧れてて
尊敬してて――ひそかに、
好きだった。




そんな彼とたまたま二人で
ひとつの仕事を手がける
ことがあって、そのとき
二人で飲みに行ったりして
グッと親密になって。



_彼はその頃、奥さんとの
仲があんまりうまく
いってなかった。




でも、険悪だってほどじゃない。


どこの夫婦にでもある
倦怠期ってゆーかすれ違い
ってゆーか、その程度。




だけど彼は、そんな少し
疲れる家庭生活の息抜き
を、あたしに求めてくれたんだ。




あたしは、それでもよかった。




不倫でも愛人でも二番目
でも、彼に愛してもらえる
ことの方が嬉しかった
から、受け入れた。



_そうして、人には言えない
つき合いを2年間続けて
きたけれど――…。





別れたのは3ヶ月前。




……あたしの方から切り
出して、二人で話し合いも
して、最終的にちゃんと
合意のうえで別れた。




理由は、彼の奥さんに
赤ちゃんができたから。





それを初めて聞いたとき、
奥さんへの嫉妬をまず
抱いた自分がいた。



_奥さんと冷め切ったわけ
じゃないことも、彼に
家庭を捨てる気がない
ことも、承知のうえだった
はずなのに。




なのに、どうしても
悔しくて、ショックで。




嫉妬に狂って、新しい命の
誕生を喜べない。

そんな自分が、サイテー
だって思った。




それに、これを機に夫婦は
関係を修復できるかもしれない。


ううん、きっとそのための
チャンスなんだろう。



_だとしたら、あたし達は
もう終わりにしなきゃ、って。




そう思ったから、別れた。




もう二度と、彼を『潤』
とは呼ばない。そう誓って。




あたしはただの部下に戻る
って、誓ったのに――…。












不倫の代償。





道ならぬ恋におぼれてた
ことに、罪がないだなんて
思ってない。



_わかってる。


あたしのしてたことは、
ヒドいことだ。




道徳に反する、サイテーな
行為だ。





わかってる――


けど――……。





その代償を、平気な顔で
受け止められるほど。




あたしの心は、


強くも、凍ってしまっても
なくて。




ただ、恋を失った
ショックでもろくなった
心が、切ない悲鳴を
あげてた……。





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