☆☆☆☆☆
紙袋一杯のチョコレートを
抱えて、瑞樹は颯爽と
会社を出ようとしていた。
長かった2月14日の一日を
終え、帰宅しようと
していたところだ。
ところが、エントランスを
今まさに抜けようとして
いた所で、彼は唐突に足を
止めた。
「――――瑞樹!」
そう、自分の名前を
呼ばれたから。
_声の方向を振り返って、
瑞樹は驚きに目を見開く。
「美冬(みふゆ)―――!?」
そこにいたのは、かつて
知ったる人物だけれど――
まさかここで会うとは
思ってもいない人物。
(なんで、美冬がこんな
とこに――??)
「……久しぶり、瑞樹」
彼女は瑞樹の内心の疑問
には答えず、本当に懐かし
そうにそう挨拶してきた。
「――久しぶり。
元気だったか?」
_会うのは1年ぶりだ。
他に言葉は見つからず、
瑞樹も軽くほほ笑みながら
答えると……。
「相変わらずモテモテだね。
それ、全部会社の人から
もらったの?」
瑞樹の持つ紙袋を指差して
美冬が言った。
それを聞いた瑞樹はさらに
驚いて、
「会社って、美冬……?」
美冬とは自分がホストを
している時に別れ、それ
以来一度も会ってなかった。
_だから、自分がサラリー
マンに転職したことなんて
知るはずもないのに。
「……ウン、知ってたよ。
サトルが教えてくれたの」
サトルというのは、学生
時代からの二人共通の親友だ。
そう言えばモードで働き
出してしばらくした頃、
電話がかかってきてそんな
話もしたっけ……。
瑞樹は最初、偶然会った
だけかと思っていたが、
どうやらそうではない
ことをすぐに察した。
_美冬は、自分がここで
働いていることを知った
うえで、今この場にいるのだ。
「……どうした?
何か、あったのか?」
彼女の借金はキレイに完済した。
もう、何も問題なんてない
はずだけれど――。
「瑞樹、私――……」
開いていた距離を埋める
ように、美冬が歩み寄って来る。
そして、まっすぐ瑞樹の
正面に立ち、
「瑞樹に逢いたくて、来たのよ」
_かすかに震える声でだ
けれど、ハッキリとそう告げる。
「美冬、それは――…」
言いかけたセリフを遮って
美冬がさらに言葉を続けた。
「サトルに聞いたからじゃ
なくて……その前から
ずっと、会いたいって思ってた。
私、ホントはずっと後悔
してたの。瑞樹と別れたこと」
「美冬………」
驚きと、彼女とつき合って
いた頃の懐かしい感覚が
体を満たしていく。
_「瑞樹が毎日、色んな女の
人とベタベタしてるのが
どうしてもイヤで。
私のためにしてくれてる
ことなのにこんなふうに
考えるのはおかしいって
わかってたけど、だけど
寂しくて」
『私がワガママだった、
ゴメン』
そう美冬は謝った。
瑞樹は首を横に振り、
「美冬だけが悪いんじゃない。
オレだって、美冬がそう
感じてるのをわかってた
のに放置してたんだから」
_ただ、あの頃は美冬が
自分のせいで作って
しまった借金をまず返す
ことに必死で。
我慢をさせるのもやむを
得ないと思い、そのままに
してしまったのだ。
「お互いちょっとずつ、
何かが足りなかった。
それだけだよ」
だから、今さら美冬だけが
謝る必要なんて何もない。
瑞樹は視線にそう思いを
込めて、美冬を見つめた。
美冬は思いつめた表情で
それを受け止めて、
_「瑞樹がホストを辞めた
って聞いて、もう気持ちが
抑えられなくなって
来ちゃったの。
ムシがよすぎるってわかってる。
だけど――…」
そして、そこで一度大きく
息をついて、
「今なら私、ちゃんと
瑞樹を信じれると思う。
だから――やり直せない
かな、私達――」
「美冬………!」
予感はしていたのに、
実際に彼女の口からその
言葉を聞くと。
それはまるで不思議な力を
持った呪文のように、
瑞樹の心にあらがいがたい
衝動を与えた。
_彼女を好きだった気持ちや
懐かしい思い出が、
走馬灯のように引き
出されて心を満たす。
それは本当に、帰りたいと
思ってしまうくらい
楽しかった時間で。
――嫌いになって別れた
相手じゃない。
その相手が自分を求めて
くれるなら、いっそ今すぐ
そこに戻ればいいんじゃないか。
それにその想いをはねつけ
れば、彼女はまた、傷つく
ことになるんだから――。
_そんな、色んな思いが
心を駆け巡って。
瑞樹は我を忘れて『ああ』
と答えてしまいそうな
自分を、ハッキリと感じていた。
(まいったな……。
これじゃ、莉央さんの
こと偉そうに責めて
らんないじゃん――)
別れた恋人にヨリを戻そう
って言われんのって、
こんな気持ちになるんだな。
まさか自分が同じ経験を
して、莉央の気持ちを身を
もって知ることになるとは。
_因果を感じる結果に、
瑞樹は内心で苦笑していた。
(けど――笑ってる
場合じゃないか)
自分にも、しなくては
いけないことがある。
そうじゃなければ、今度は
自分が莉央になじられる番だ。
――瑞樹は、目の前の
美冬をもう一度正面から
見つめた。
不安そうに揺れる瞳を
見ると、やっぱり心が痛む。
でも――…。
「ゴメン、美冬。
オレは美冬とはやり直せない」
_美冬から瞳をそらさずに、
瑞樹は静かにそう告げた。
美冬のまぶたが小さく震え
……悲しみが、ゆっくりと
顔に現れてくる。
「ゴメンな。
気持ちは嬉しいけど……」
「そっか――。
もしかしてもう彼女とか
いた?」
気丈にそう言う美冬だった
が、内心では必死に涙を
こらえてるのが瑞樹には
わかった。
泣いてほしくはない。
けれどきちんと答える
ことが誠意だと思うから、
瑞樹は迷わずに答える。
_「彼女はいないよ。
でもきっと――好きな人はいる」
「そ、か……そうだよね。
私とつき合ってたの
なんて、もう1年以上も
前なんだもんね……」
「期間の問題じゃないよ。
現にそれまでは、仕事で
どんだけいろんなタイプの
人を見たって、心が動く
ことはなかったし――…」
でも今の自分は、
もう出会ってしまったから。
_自分の心を動かし……
もっと知りたいと思わせる
相手に。
守ってあげたい。
そばにいたい。
そんなふうに感じる相手に。
――だから――…
「本当にゴメンな、美冬……」
今、彼女に最後に言える
言葉は、これ以外にない。
もう一度謝った瑞樹に、
美冬は瞳を潤ませながらも
けなげにほほ笑んで、
「……ううん、いいの。
言えただけでもよかった。
私こそゴメンね、瑞樹。
それに……ありがとう」
_「“ありがとう”?
何にだよ?」
「いろんなことにだよ。
瑞樹が私にしてくれた
ことや教えてくれたこと、全部。
私、本当に感謝してるから――」
美冬はそう言うと目元を
グイッと手でぬぐい、
笑顔で瑞樹を見上げた。
(いつのまにか美冬も、
強くなってるんだな――)
昔はもっと泣いている
ことが多い彼女だった。
でも今の美冬なら、きっと
自分がいなくても大丈夫だ。
きっと彼女は――ただ、
昔の自分にケリをつけた
かったんだろう。
_だから今、美冬は笑っている。
それなら自分も笑って
いようと、瑞樹は思った。
「こっちこそ、ありがとな」
過去にも、今日ここへ来て
くれたことにも。
すべてひっくるめて
伝えると、美冬は『ウン』
と小さく頷いて、
「そうだ――一応これは
渡しとく。
友チョコだから受け取って
くれるよね?」
そう言ってバッグの中から
小さな包みを取り出した。
_差し出されたそれを、
瑞樹はためらうことなく
受け取って、
「サンキュー。
ありがたくもらっとく」
「ウン。
それじゃあ――ゴメンね、
帰ろうとしてたのに」
「イヤ、いいよ」
「ありがと。
――バイバイ、瑞樹。
元気でね――…」
「あぁ、バイバイ。
美冬も、元気で」
これが本当の、『バイバイ』。
1年前に恋人同士では
なくなってた二人だけれど。
_今夜の『バイバイ』は……
そう、きっと、二人が次に
進むための別れだ。
楽しかったことも辛かった
ことも、情けない失敗も。
全部を大切な想い出として
しまって、新しい道を
進んでいくための。
「……サンキュー、美冬」
ビルを出た美冬の後ろ姿が
見えなくなるまで見送って
から、瑞樹は小さくつぶやいた。
(お前が来てくれたおかげ
で――なんかオレも、発破
かけられたよ)
「あいつが前に進むなら――
オレも、ここで止まってる
わけにはいかないよな――…」
それは静かなささやき
だったけれど、その中には
揺るぎない決意がこもっている。
瑞樹は両手にギュッと力を
込めると、まっすぐに前を
見据え、再び歩き出した――…。
☆☆☆☆☆
紙袋一杯のチョコレートを
抱えて、瑞樹は颯爽と
会社を出ようとしていた。
長かった2月14日の一日を
終え、帰宅しようと
していたところだ。
ところが、エントランスを
今まさに抜けようとして
いた所で、彼は唐突に足を
止めた。
「――――瑞樹!」
そう、自分の名前を
呼ばれたから。
_声の方向を振り返って、
瑞樹は驚きに目を見開く。
「美冬(みふゆ)―――!?」
そこにいたのは、かつて
知ったる人物だけれど――
まさかここで会うとは
思ってもいない人物。
(なんで、美冬がこんな
とこに――??)
「……久しぶり、瑞樹」
彼女は瑞樹の内心の疑問
には答えず、本当に懐かし
そうにそう挨拶してきた。
「――久しぶり。
元気だったか?」
_会うのは1年ぶりだ。
他に言葉は見つからず、
瑞樹も軽くほほ笑みながら
答えると……。
「相変わらずモテモテだね。
それ、全部会社の人から
もらったの?」
瑞樹の持つ紙袋を指差して
美冬が言った。
それを聞いた瑞樹はさらに
驚いて、
「会社って、美冬……?」
美冬とは自分がホストを
している時に別れ、それ
以来一度も会ってなかった。
_だから、自分がサラリー
マンに転職したことなんて
知るはずもないのに。
「……ウン、知ってたよ。
サトルが教えてくれたの」
サトルというのは、学生
時代からの二人共通の親友だ。
そう言えばモードで働き
出してしばらくした頃、
電話がかかってきてそんな
話もしたっけ……。
瑞樹は最初、偶然会った
だけかと思っていたが、
どうやらそうではない
ことをすぐに察した。
_美冬は、自分がここで
働いていることを知った
うえで、今この場にいるのだ。
「……どうした?
何か、あったのか?」
彼女の借金はキレイに完済した。
もう、何も問題なんてない
はずだけれど――。
「瑞樹、私――……」
開いていた距離を埋める
ように、美冬が歩み寄って来る。
そして、まっすぐ瑞樹の
正面に立ち、
「瑞樹に逢いたくて、来たのよ」
_かすかに震える声でだ
けれど、ハッキリとそう告げる。
「美冬、それは――…」
言いかけたセリフを遮って
美冬がさらに言葉を続けた。
「サトルに聞いたからじゃ
なくて……その前から
ずっと、会いたいって思ってた。
私、ホントはずっと後悔
してたの。瑞樹と別れたこと」
「美冬………」
驚きと、彼女とつき合って
いた頃の懐かしい感覚が
体を満たしていく。
_「瑞樹が毎日、色んな女の
人とベタベタしてるのが
どうしてもイヤで。
私のためにしてくれてる
ことなのにこんなふうに
考えるのはおかしいって
わかってたけど、だけど
寂しくて」
『私がワガママだった、
ゴメン』
そう美冬は謝った。
瑞樹は首を横に振り、
「美冬だけが悪いんじゃない。
オレだって、美冬がそう
感じてるのをわかってた
のに放置してたんだから」
_ただ、あの頃は美冬が
自分のせいで作って
しまった借金をまず返す
ことに必死で。
我慢をさせるのもやむを
得ないと思い、そのままに
してしまったのだ。
「お互いちょっとずつ、
何かが足りなかった。
それだけだよ」
だから、今さら美冬だけが
謝る必要なんて何もない。
瑞樹は視線にそう思いを
込めて、美冬を見つめた。
美冬は思いつめた表情で
それを受け止めて、
_「瑞樹がホストを辞めた
って聞いて、もう気持ちが
抑えられなくなって
来ちゃったの。
ムシがよすぎるってわかってる。
だけど――…」
そして、そこで一度大きく
息をついて、
「今なら私、ちゃんと
瑞樹を信じれると思う。
だから――やり直せない
かな、私達――」
「美冬………!」
予感はしていたのに、
実際に彼女の口からその
言葉を聞くと。
それはまるで不思議な力を
持った呪文のように、
瑞樹の心にあらがいがたい
衝動を与えた。
_彼女を好きだった気持ちや
懐かしい思い出が、
走馬灯のように引き
出されて心を満たす。
それは本当に、帰りたいと
思ってしまうくらい
楽しかった時間で。
――嫌いになって別れた
相手じゃない。
その相手が自分を求めて
くれるなら、いっそ今すぐ
そこに戻ればいいんじゃないか。
それにその想いをはねつけ
れば、彼女はまた、傷つく
ことになるんだから――。
_そんな、色んな思いが
心を駆け巡って。
瑞樹は我を忘れて『ああ』
と答えてしまいそうな
自分を、ハッキリと感じていた。
(まいったな……。
これじゃ、莉央さんの
こと偉そうに責めて
らんないじゃん――)
別れた恋人にヨリを戻そう
って言われんのって、
こんな気持ちになるんだな。
まさか自分が同じ経験を
して、莉央の気持ちを身を
もって知ることになるとは。
_因果を感じる結果に、
瑞樹は内心で苦笑していた。
(けど――笑ってる
場合じゃないか)
自分にも、しなくては
いけないことがある。
そうじゃなければ、今度は
自分が莉央になじられる番だ。
――瑞樹は、目の前の
美冬をもう一度正面から
見つめた。
不安そうに揺れる瞳を
見ると、やっぱり心が痛む。
でも――…。
「ゴメン、美冬。
オレは美冬とはやり直せない」
_美冬から瞳をそらさずに、
瑞樹は静かにそう告げた。
美冬のまぶたが小さく震え
……悲しみが、ゆっくりと
顔に現れてくる。
「ゴメンな。
気持ちは嬉しいけど……」
「そっか――。
もしかしてもう彼女とか
いた?」
気丈にそう言う美冬だった
が、内心では必死に涙を
こらえてるのが瑞樹には
わかった。
泣いてほしくはない。
けれどきちんと答える
ことが誠意だと思うから、
瑞樹は迷わずに答える。
_「彼女はいないよ。
でもきっと――好きな人はいる」
「そ、か……そうだよね。
私とつき合ってたの
なんて、もう1年以上も
前なんだもんね……」
「期間の問題じゃないよ。
現にそれまでは、仕事で
どんだけいろんなタイプの
人を見たって、心が動く
ことはなかったし――…」
でも今の自分は、
もう出会ってしまったから。
_自分の心を動かし……
もっと知りたいと思わせる
相手に。
守ってあげたい。
そばにいたい。
そんなふうに感じる相手に。
――だから――…
「本当にゴメンな、美冬……」
今、彼女に最後に言える
言葉は、これ以外にない。
もう一度謝った瑞樹に、
美冬は瞳を潤ませながらも
けなげにほほ笑んで、
「……ううん、いいの。
言えただけでもよかった。
私こそゴメンね、瑞樹。
それに……ありがとう」
_「“ありがとう”?
何にだよ?」
「いろんなことにだよ。
瑞樹が私にしてくれた
ことや教えてくれたこと、全部。
私、本当に感謝してるから――」
美冬はそう言うと目元を
グイッと手でぬぐい、
笑顔で瑞樹を見上げた。
(いつのまにか美冬も、
強くなってるんだな――)
昔はもっと泣いている
ことが多い彼女だった。
でも今の美冬なら、きっと
自分がいなくても大丈夫だ。
きっと彼女は――ただ、
昔の自分にケリをつけた
かったんだろう。
_だから今、美冬は笑っている。
それなら自分も笑って
いようと、瑞樹は思った。
「こっちこそ、ありがとな」
過去にも、今日ここへ来て
くれたことにも。
すべてひっくるめて
伝えると、美冬は『ウン』
と小さく頷いて、
「そうだ――一応これは
渡しとく。
友チョコだから受け取って
くれるよね?」
そう言ってバッグの中から
小さな包みを取り出した。
_差し出されたそれを、
瑞樹はためらうことなく
受け取って、
「サンキュー。
ありがたくもらっとく」
「ウン。
それじゃあ――ゴメンね、
帰ろうとしてたのに」
「イヤ、いいよ」
「ありがと。
――バイバイ、瑞樹。
元気でね――…」
「あぁ、バイバイ。
美冬も、元気で」
これが本当の、『バイバイ』。
1年前に恋人同士では
なくなってた二人だけれど。
_今夜の『バイバイ』は……
そう、きっと、二人が次に
進むための別れだ。
楽しかったことも辛かった
ことも、情けない失敗も。
全部を大切な想い出として
しまって、新しい道を
進んでいくための。
「……サンキュー、美冬」
ビルを出た美冬の後ろ姿が
見えなくなるまで見送って
から、瑞樹は小さくつぶやいた。
(お前が来てくれたおかげ
で――なんかオレも、発破
かけられたよ)
「あいつが前に進むなら――
オレも、ここで止まってる
わけにはいかないよな――…」
それは静かなささやき
だったけれど、その中には
揺るぎない決意がこもっている。
瑞樹は両手にギュッと力を
込めると、まっすぐに前を
見据え、再び歩き出した――…。
☆☆☆☆☆


