あひるの仔に天使の羽根を



あたしは何も判らない。


セツナ。


名前を聞く度、あたしの心臓は焦ったように早鐘を打つけれど、


――例えあなたが忘れていても。


でもそれは条件反射のような動きで、どうしたってあたしの記憶にひっかかるものはない。


あたしには再生するだけの記憶がない。


仮にあたしに埋もれた記憶があったとして。


大昔の記憶が一体何だと言うんだ。


「刹那様はお嬢様と一緒に"中間領域(メリス)"にお住まいになり、随分と下層の私達の為に尽力なさいました。学のない私に色々教えて下さった優しい方です」


――ここに流れついて、ぼく達に文字や言葉を色々おしえてくれました。女の子供もいました。


同一人物と考えた方が自然だろう。


「お前、随分と刹那って奴を知ってる口ぶりだな?」


煌の問いにイクミは笑った。


「ええ、私は刹那様のお嬢様と歳が近いせいもあって、よく刹那様の家で身の回りのお手伝いをさせてもらってましたから。刹那様は"神格領域(ハリス)"の方々とも顔見知りで、私だけ特別に刹那様の家に出入りすることを認められているんです」


刹那という人のお気に入りだったイクミ。


「刹那様によって私は色々教わりました。叶うことなら、この地から出てもっと広い世界を見てみたいです。

実は数日後に祭があるんですが、その祭の供物であるこの地の秘宝である"禁断の果実"を口にすれば願いが叶うと言われているんです。

その"禁断の果実"は13年ごと祭の時にか各務家からお披露目されず、その日だけはどんな身分の者達も無礼講となり、運がよければ口にすることが出来るそうです。

私のような罪人には、見ることすら難しいものでしょうけれど」


そう悲しげに目を伏せた。