私は見ていた。



煌の手が久遠の胸元に伸びる直前で、久遠はその手を弾くように払いのけ、同時に煌の重心をずらしてその身体を傾けた上で、足をかけて転倒させようとしていた。


それは僅か数秒の出来事で。


普通の人間では…当人である煌でさえ、何が何だか判らない顔つきだ。


櫂様は――どうなんだろう。


厳しい目を久遠に向けている。


「オレは騒がしいのが嫌いだ。君達も嫌いだ。勿論彼女も嫌いだ。嫌いなものを傍に置いておく、そんな無粋な趣味はオレにはないんでね」


そして櫂様を見据える。


「去ってくれないか?」


それはまるで感情のない人形のように、明らかな作り笑いを顔に浮かべて。


「"中間領域(メリス)"に行ったはずさ。今の時間帯なら、比較的行き来も自由だ。そんなに心配なら、オレに構っているより、追いかけた方いいんじゃないか、せりを」


せり?


私は、"混沌(カオス)"で月が芹霞さんをそう呼んだ時、芹霞さんが声を荒げてそれを却下した場面を思い出す。


そんな芹霞さんを、この男は堂々と呼ぶのか。


そんなに親しい間柄だったのだろうか。


ずきん、ずきん。


腹部が脈打っている。


完全に、薬が切れ始めている。


私の額から、汗が出てきた。