銀杏ララバイ


宿は近いようで複雑な道のりだった。

それでもどうやら宿の正面に出た。

2人は今にも朽ちそうな、
古くて小さな門に掛かっている
【イチョウ屋】と書かれた看板を素通りして、

緊張した面持ちで正面玄関を開けた。

思ったとおり、
小さくて古いたたずまいの宿だった。

そして玄関には誰もいなかった。

今声がしたのだからいないと言う事は無いはずだが… 



「お姉ちゃん、客ではないけど
これを押してみようか。」



孝史は、客が何か用事の時に押す
呼び鈴のようなブザーが、
玄関横の小さなカウンターの上にあるのを見つけて、

かおるに声を掛けた。



「そうねえ。何か仕事中だと思うけど… 
忙しいのに邪魔された、
と気分を害されても困るけど、
押してみようか。」



これまでも数件の宿で、
仕事の邪魔をしたみたいに
邪険にされた事があるかおるは消極的だ。

しかし押さなければ気づいてもらえないだろう。

そんな事を思いながら
ブザーに触れようとした時だった。



「あら、お客さんですか。」



と言う声がして、
着物を着て割烹着をつけている、

かなり年配の女が
買い物をして来たのか、
大きなかごを抱えて入ってきた。



「あ、いえ、私たちは… 」



突然の事だったからかおるは慌てた。

私たちは客なんかではない、ただ… 



「僕たちは5年前に別れた父を捜しています。

この島で見た、と言う事を聞いたものですから
こうして来て見ました。

おばさん、この写真の人を知りませんか。
5年前のものですけど… 」



戸惑っているかおるの代わりに、
孝史が落ち着いて尋ねた。