「これは…夢か?」


湯飲みを二つ乗せた盆を運びながら、青年は独り言を呟いていた。

十月九日、紅葉の季節を迎えた江戸・深川佐賀町の伊東道場に突如、珍客が現れた。


「まさか本当に来るなんて…」


ごくりと唾を大袈裟に呑む青年は興奮混じりの上ずった声で呟き続けた。



「篠原君。入ってきていいですよ」


「は…はい!?」

盆の湯飲みを見つめながら歩いていた青年・篠原はどこからともなく聞こえてきた声に飛び跳ねた。

「あの、開けましょうか?」

「いえいえ、お構い無く。どうぞ楽にしてください」

篠原は自分の失態に対しての会話を耳にし、これ以上此処の主に恥をかかせるわけにはいかないと、目の前の声のする襖を美しい所作で開いた。


「失礼します。不様な所をお見せして申し訳ありません。お茶をお持ちしました」

篠原は、今さっきみっともない声を上げた者と同一人物とは思えない厳格な言葉遣いで客間へと入室した。


「あ、どうもありがとうございます」

篠原が出した茶を見て、若い張りのある声の男が爽やかな笑顔で丁寧に頭を下げた。


(…何だ。新撰組の使者と言うから構えてみればまだ若造じゃないか)

応えるように会釈を返した篠原は上目遣いで伊東道場の主と対峙する相手を盗み見た。
歳は篠原より十は若いだろう。活気と野心に満ち溢れた強い眼差しの若者という印象の男だった。


「では、私はこれで「篠原君」


篠原が盆を持って立ち去ろうとした時、彼の師である伊東大蔵が咄嗟に声をかけた。