「――ごゆっくり」 絡みたがる女性客に義務的に声をかけて、俺はカウンター裏に引っ込んだ。 気分が乗らない。 バイト仕様に整えた髪形をかき混ぜて息を吐いた。 バーテンダーの見目にも拘るマスターに見つかったら小言を言われそうだと思いながら、昨夜のことに思考を飛ばしてしまう。 『イチくん』 泣きそうな声で美月は俺の名を呼んだ。 覚えているとは、思わなかった。 それもまた事実で、実は俺は困惑もしていた。