「親分!ここらの避難は粗方済んだで!いつでも行ける!」
文字通り寄せ集めの火消組の先頭に立つ鶴治郎は突如、煙の中から現れた中年男に向けて手を出した。
「オラオラッ!纏(まとい)持って来いや!」
中年男の声に引き寄せられるようにして、顔中煤だらけの屈強な肉体の男たちが次々と煙の中から出てきた。その数、軽く三十人を越えている。皆鶴治郎と同じ半纏を羽織り、全身から汗が滴っていた。
「頼むで親分!」
綿入りの頭巾で頭を覆った若者が鶴治郎に向けて何かを空高く放つ。
それは、立ち上る火の粉と黒煙の中を潜り、鶴治郎の手に握られた。
煤の中を通ったというのに、輝くような白色。女子供なら振り回されてしまいそうなほど重量感のある外見。鶴治郎の頭一つ分を悠に越える立派な姿。
これこそが、火消の象徴、纏である。纏の先端付近には、半纏と同じく、達筆な文字で『も』と印されていた。
「これより、消し口を作る!」
そう宣言した鶴治郎は、六貫(二十二キロ)以上ある纏を慣れた動作で肩に担いぎ、目の前の建物によじ登り始めた。
「…楓君。君は下がっていたほうがいい」
梯子も使わず二階建ての家屋に登る鶴治郎の背から目を離さずに、山南はすぐ近くにいる楓に話し掛ける。
「何でやねん?」
楓も同じく、鶴治郎に目を向けたまま山南に問う。
「消し口を作るっていうのは、火の勢いを食い止める為に頭が指示した区域の建物を壊すことなんだ。こればっかりは男の仕事だよ」
予め楓の左腕がほとんど機能しないことを松本から聞かされていた山南は、楓を消し口作りから遠ざけたかった。しかし、そんな山南の願いは儚く散ることとなる。
「大きなお世話や。大体な、猫の手も借りたいような今の状況で男だの女だの言う阿呆はあんただけやで?」
清々しいほどキレのいい否定の言葉を受けた山南は一瞬、思考を停止させてしまった。

