幕末異聞―弐―


「皆さん落ち着いてください!とにかく北へ避難してください!!風の吹いていない方向へ!」

「荷物は置いて!自分の身優先に考えてください!子供は男が背負って!」

理解しているのか、聞こえているのかさえわからない状態だが、山南と藤堂は逃げ惑う人々に声を張り続けた。

警鐘を聞いただけでこの乱れよう。ここより先は一体どのような惨状となっているのだろうか。
途切れることなく向かってくる民の必死の形相に、藤堂は思わず一歩後ずさる。

「おい。ここでへたれてる暇ないで」

身体を引いた藤堂の背に肩をぶつけて来たのは、怒ったように目を吊り上げた楓だった。

「か…楓!?」


「物見櫓から火元を見つけた。河原町御池の辺りや。この戦、劣勢と判断した長州が自ら藩邸に火を放ったかあるいは、幕府が焼き払ったか…」

「そんな無茶苦茶なことって!?」

「このご時世、何が起こっても何ら不思議やない」

狂っとると、鼻で笑った楓の見解は的を得ていた。

長州過激派が御所の門に砲弾を打ち込んで間もなく、藩邸に身を潜めていた長州穏健派はある行動を起こしていた。
過激派のやったことと言っても所詮、幕府にとっては穏健派も同じ長州藩士。いくらも経たない内に幕軍がこの藩邸を攻めてくるのは確実であった。

「長州が機密事項全てを隠滅するために、この町を犠牲にしたんだとしたら…笑えん冗談やな」

全て灰となってしまえば、証拠不十分で少なからず罪は軽減され、火が広まることで逃亡の余地が増す。
悪あがきとしか言えない行為だが、穏健派が混乱の中で考え出した苦肉の策だった。