「ありがとう。俺は大丈夫だ。まだやるべき事が残っている。休むわけにはいかないんだよ」


――稔麿のためにも…

池田屋の一件から、桂は毎夜のようにあの日の吉田にうなされていた。あの時、無理にでも藩邸に連れ帰っていたら。自分も時間通りに池田屋にいたら。

――全ては仮定に過ぎないことは解っている。しかし、心のどこかでまだ吉田の死を受け入れられない愚かな自分がいる。


同じ過ちを繰り返したくない。


桂はその一心で以前にも増して慎重な行動を心がけるようになった。


「幾松、お前のにぎり飯、笹に包んでくれないか?」

胸に抱いていた幾松の上半身を起こし、にっこりと笑う桂。


「…また、お仕事どすか?」

「ああ!池田屋以降、攘夷志士たちの憤慨を抑えるのに忙しくてな。最近では剣術よりも話術の方が上達してしまったよ」

困ったものだと笑いながら素早く身支度をする桂の横顔を見ていた幾松は、何もできない自分に腹が立っていた。

(傍にいて支えることすらできへんの?)

真っ赤な紅を塗った下唇をくっと噛み、自分の不甲斐なさに目を潤ませた。

「幾松、君には色々気遣いをさせてしまってすまないと思っている」

「そんなことっ!!…そんなことありまへん」

段々とか細くなっていった声と、小刻みにわななく形のいい幾松の唇を見て、桂は困ったように笑った。

「また、君の三味線を聴きに来るよ。今度は、“ただ君に会いに来た”って言いたいな」


「…桂はん」

桂はそっと幾松の頬に手を添え、優しく一撫ですると、大小の刀と簡易的に包まれた大きなにぎり飯を持って立ち上がった。

「じゃあ、行ってくるよ」


「…お気をつけて」

“小五郎さん”

幾松は後に続く彼の名を喉に押し込めて部屋を出て行く桂の背中を見送った。

(今、貴方の重りになるわけにはいきまへん…)

自分以外だれもいなくなった部屋で幾松は、今まで桂が座っていた窓際に正座する。





「どうかご無事で・・・。」



窓から見える欠けた月を眺めながら、幾松はぽつりと呟いた。