「あの…旦那様」
「?」
喜右衛門が掃除途中の店の中を振り返ると、そこには炊事場で朝餉を作っていたはずの女中が襷をかけたままの状態で立っていた。
「飯ができたのか?」
主の質問に首を振り、何かを伝えようという素振りを見せる中年の女中。
「?何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「あの…実は、その方が探しておられます“石川清之助”という名を、昨日配達に伺いました五条麩屋町にございます旅籠の『千里』さんの帳簿で見かけました」
女中は弱々しい小さな声で先日自分が見てきたものをありのままに話した。
「しょうまっことか?!!(本当に)」
才谷の顔が背後に花が咲きそうなほど明るくなる。
「間違いないんだな?」
喜右衛門もこの奇跡の偶然に思わず顔が綻んでいた。
「え…ええ。確かに帳簿には書いてありましたが、お探しの方と同一人物かは…」
「ほがなことどうでもいいち!いや〜、ほんに助かっちゅうよ!!五条麩屋町の『千里』じゃな。早速行ってみるぜよ!
ご主人。朝はようからすまんかったの!じゃあ、わしはこれで失礼するがで!!今度はきちっと客として来るき!」
「え…あっ!は、はい!…おおきに」
すっかり自己解決を済ませた才谷は、女中に注意を向けていた喜右衛門の前からさっさと姿を消してしまった。
「あの…旦那様?朝餉の準備が出来ました」
「…あ?ああ。今行く」
圧迫感の無くなった木戸を暫し呆然として見ていたが、女中の一言で喜右衛門の時はゆっくりと動き出した。
誰もいなくなった木戸を閉め、ふらふらと朝餉が準備してある奥の間へと草履を脱いで上がっていく枡屋。
これが彼の六月四日の朝だった。

