幕末異聞―弐―


――パタン…


(……やばかった)


局長室の襖を閉めた楓は、両手で顔面を思いっきり叩いた。

(ありがとうって…何やねんそんなん…)


とりあえず、月明かりだけが頼りの暗い廊下を歩く。右足を出せば右手を振るという珍妙な歩き方をしている事にも気づかないほど楓は動揺していた。
近藤の言葉と笑顔が目の前にちらついて前方が見えていない。晴れない気持ちを抱えつつ、ぼんやりと廊下を歩く楓。



――ガっ!!


「?!!」

無意識に進めていた楓の足に、何か硬いとも柔らかいとも言えない大きな物体が当たった。

「いったたた」

楓は立ったまま見事なバランスで左足を抱える。勢いよく衝突したため、楓の半身程もある丸みを帯びた物体は、横倒しになる様に転げた。



「…痛いのはこっちですよ」


「…あ?」


丸くなっていた物体が横になったままみるみる形を変えて、やがて人型となった。暗くてよく見えないが、腰の辺りを擦っているようだ。

「も〜!何なんですか?!いきなり蹴るなんて!私は鞠じゃないんですよ?!」

「ああ。総司か」


「…嫌な反応するなぁ」


楓が蹴ったものは廊下に縮こまって座っていた沖田だった。
それがわかると、楓は驚くでも謝るでもなく無感情に名を呼んだ。蹴られて転がった沖田は、腰を抑えながら上半身を起こす。

「自分こんな時間に何してるん?」

「星を見てたんですよ」

濃紺の空を指さす沖田に吊られて楓は、距離を置いて隣に座り空を見上げる。
確かに、大小様々な星が満遍なく散りばめられた綺麗な夜空だった。