「雅也、起きて。最後の日は完璧に決めるんでしょ」
来春には僕の妻になる里美の声だった。
コーヒーの匂いと朝のニュースの聞きなれたキャスターの声が、半分しか目覚めてない脳を刺激する。僕はとろんとした目をこすりながら、数歩足を動かすことをあやふやな脳で命じて、リビングのソファに身体を預けた。
「はい、新聞。はい、歯磨き」
僕の左手と右手に、それぞれが預けられる。
見出しにざっと目を通し、昨夜の酒の匂いがミントの香りのするペーストで中和される頃、やっと僕は会社に行ける状態の第一歩をクリアした。
僕好みの女性キャスターが、本日のメインの情報を伝え終える。
僕は新聞を持って、今度は洗面所経由でダイニングのイスへと移動する。
「目玉焼きが固い。コーヒーが冷めてる」
僕は文句を言った。
歯ブラシを握っていた右手はマグカップとフォークを交代で持つ役目へと転換し、左手は新聞を持つ分担を継続していた。
「卵は失敗、ごめんね。でもコーヒーがぬるくなったのはあなたのせいよ」
里美はにっこりと笑ってそう言った。
「卵はいいけど、コーヒーは熱いのに入れ替えてくれよ」
僕は新聞越しに頼んだ。
いいわ、と彼女はあっさりそれを引き受け、程なく新たな香気が室内に漂った。