幕末異聞



「やーまーのーさーん!?」


「そんなとこおるわけないやろ」


中庭にある井戸の中に頭を突っ込んで真剣に山野の名前を呼ぶ沖田の耳に、懐かしい声が届いた。



「…久しぶりですね」


井戸の中に頭を入れたまま沖田はその声に話しかける。
顔なんて見る必要もないよく知った声。


「明けましてどうも」

「くすくす。もう三月になりますよ?」

「年明けて初めてしゃべったんやからあんたとは今が新年や」

「くくっ。確かにそうですね」


沖田は結った長髪が跳ね上がる程思いっきり井戸から顔を上げ、声の主に目をやる。


「明けましておめでとうございます。楓」

「はっ!なんや相変わらずムカつく顔しとんな」

「ふふ。それは貴方の私に対する最大の褒め言葉のようですね」



「…ふん」

「あははは!素直じゃないなぁ」

沖田特有の満面の笑顔を見届け、楓は沖田のいる井戸の縁に腰掛けた。


「八十八なら玄関におるで」

「そうですか」



「…行かんのか?」

「もう少ししたら行きます。貴方こそ、寒いのがお嫌いなら中に入ればいいじゃないですか?」



「…もう少ししたら行く」


隣にいながら一度も目は合わせない二人だが、お互い確実に前進したことを感じ取っていた。
沖田も体を反転させ、楓と少し距離を置いてしゃがむ。
木の上に残っている雪から絶え間なく落ちる水滴を見つめながら、先に口を開いたのは沖田だった。



「私、みんなに愛されていたんですって」


「…」


「今まで気づかないフリをしていました。怖かったんです。仲間の優しさに気づくことで、敵の情も感じ取ってしまうのではないかと…剣が鈍るのではないかって」

沖田は俯いて自分の両手の平を見る。