幕末異聞



「ほれ」


永倉が両手に持っている湯飲みのうち一つを楓の顔の前に差し出した。


「…どうも」

楓は拗ねたような声を出して差し出された湯飲みを受け取る。
受け取った湯飲みからは特徴のある甘い匂いがした。

「この季節に飲む甘酒は最高なんだよなぁ」

永倉は寒さで赤くなった顔を綻ばせて甘酒を啜っていた。


ここは清水寺に通じる二年坂の小じんまりとした茶屋である。
雪の積もった坂の石段には今だに八坂神社や清水寺に新年の挨拶をする参拝客が絶えず往来している。

「で?なんでいきなりこんな遠出せなあかんかったんや?」

「ん?そんな細かいこと気にしない気にしない」

「この距離は普通気にするやろ!!」

永倉がなにか奢ってくれるというので大人しく着いて来たが、壬生の屯所から清水寺までは散歩で歩くにしては距離がありすぎた。
さらに、一月になってからは道に積雪が見られるようになっていたので、普通に歩くよりも倍の時間がかかっていたのだ。

寒さが苦手な楓にはかなり辛い道のりだった。

「俺らも参拝してく?」

「神さんを信じる主義は無い」

「俺だって信じちゃないさ」

永倉は自分の右隣に横たえてある愛刀・播州住手柄山氏繁を見た。


「ふん。なら行く必要ないやろ」

楓は冷えて赤くなった手を甘酒の入った湯のみで温めている。

「まぁそうだけど。日本人として、さ」

「意味解らん」

楓もモクモクと自分に向かってくる湯気を吹きながら甘酒を一口飲む。
こんな寒い日に飲む甘酒は特別おいしく感じる。

「お!やっといつものお前らしい顔に戻ったな」

楓の顔を覗き込む永倉がしてやったりという顔で笑う。

「は?」

楓は永倉の言っている意味が解らず、自分の冷たくなった頬を摩ってみる。

「やっぱり食いもんは偉大だな。鬼の顔も緩ませるってか?」

腕組みをしてケタケタと笑う永倉。

「何やねん?!」

「くく。さっきまでのお前の顔、まるで鬼に取り付かれたみたいだった」


「…?」