幕末異聞



「どけ」

「あんたがどけや。男やろ?」

「自分が都合悪いときだけ女利用すな猪女」

「なんやと化け狐?!」

沖田が娘三人を屯所に誘導しているのと同じ頃、屯所の一角では猪と狐の睨み合いが勃発していた。


化け狐こと山崎蒸は奥の間へと続く廊下を歩いていた。
一方の猪女こと赤城楓は厠から部屋へ行くため、山崎の進む廊下を彼の真反対から歩いた。
人一人が歩けるほどの幅の狭い廊下。更にこの廊下には曲がり角は一切無く一直線なので、楓と山崎は当然鉢合わせする形になり、今に至ったわけである。


「あんたが少し横によければ済む話やないか!」

「それをいうならお前のほうがチビなんやからお前がよけたほうがええに決まっとるやろ」

「いいや。あんたの方がひょろいんやからあんたがどいたらええんや」

「自分肥えてるいうとんのか?自虐的やなぁ」



――ガスッ!


楓の小さな体から山崎の腹目掛けて跳び蹴りを繰り出した楓。だが、そこは山崎。即座に反応し、片腕で受け止める。


「ホンマにお前は猪か?!」

トンっと着地した楓は睨むように長身の山崎を見つめる。



「この前の礼や」


「…は?」

こんな傍迷惑かつ非常識なお礼をされる覚えのない山崎は眉間に皺をよせた。


「お梅のこと」


短くぶっきらぼうに言うと、楓はそのまま山崎の横をすり抜けるようにして走っていった。


「…なんやあの女?!いつの話しとんねん!」


芹沢の暗殺があってからもう三ヶ月が経過している。今更礼を言われてもなんの感情も湧いてこない。



「不器用にも程があるわ」


山崎は誰も居ない廊下で声を殺して笑った。



(柄にも無いこと言うてしもた…あの狐、今頃馬鹿にしてるやろなぁ)


言わなくてはならなかったこととはいえ、やはり相手が相手だけに後悔の念に苦しめられている楓は頭を抱えて左右に振った。


(…散歩でもするか)


少しでもこの曇っている気持ちを晴らすために楓は散歩に出ることにした。

冬空の中、新調した下駄を履き、玄関を出た楓の足を止めたのは門から入ってきた沖田だった。