授業が始まると、心の中の虎は借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。


ペース配分、板書、発問、説明に机間指導。


考えなくちゃならないことは山ほどある。


視界の端で捉える、先生と裕香なんて気にならない、と言えば嘘になるけれど。


今はそれどころじゃない。


夢中になって授業を展開して、気が付いたらもう、最後のまとめに入る時間になっていた。


虎の姿となりながらも、人間としての理性が残っているうちに、残された家族の面倒を見てくれるよう、友人に頼む場面。


さんざん好き勝手な事やっておいて、今更家族を頼むだなんて最低!


……と思っていた。


でも、今はちょっぴり違う感想。


虎男の抱える

『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』は、私の中にも確かに存在しているから。



一番のポイントはこの言葉だと、竹森先生が教えてくれていた。


今になってやっと、その言葉の意味が少しだけ、理解できたような気がした。


私の心にもいる醜い虎を、はっきりと自覚してしまったから。


先生も、そして裕香も、私の事を裏切らないって信じているのに。


二人が仲良く並んで笑っている姿を見ただけで、心が痛んだ。


そんな自分が嫌で、認めたくない気持ちが強ければ強いほど……。


虎は獰猛(どうもう)さを増して、私自身の理性や良心に挑んできた。


それを自覚してしまった今、この話が今までとは全く違った意味を持ちはじめる。


読者によって、物語の解釈は様々だとは理解していた。


だけど、同じ読者でも、その時の気持ちや人生経験で、これほど受け止め方が変わるとは。