「あ、でもさ。新婚なら早く帰らなくていいの? てか、いくら元同級生だからって俺男だし、浮気って疑われるんじゃ…」

「んー。今日ね、高校時代のお友達の結婚式に行ってるの。だから鉢合わせはまずないかなー。ここ、いつもは彼と来てるんだけど一人で入るのも寂しいし、帰っても一人ぼっちで同じことだから塚本くんを見つけてラッキーって。それに大丈夫、彼はこんくらいじゃ疑わないって」

「心が広い人なんだね。俺だったら…、駄目だ。男と二人っきりでいる時点で許せないや。いくら友達とか友達の彼氏とかでも」

「なんかねー。いちいち気にしてたら、キリがないんだって。『子犬が誰彼問わずになつくのと同じだから』って。下手に嘘ついたり隠したりしなければ、怒らないよ。そうだ、後ろめたいことはないって証明でツーショットでも撮っとく?」

 ああ、納得。彼は伴侶のことをよく熟知しているようだ。笑って彼女の提案を辞退し、来たウーロンハイを半分まであおる。焼もち焼きな自分は、少しは見習わなければならないかもしれない。

街中で彼女が男と二人で歩いているのを見かけた時は、それから数日間眠れなかった。悩んだ挙句に問い詰めて、相手がいとこだったと判明するとウジウジと悩んでいた自分が穴に入りたくなるほど恥ずかしかった。彼女にも「馬鹿じゃないの」と舌打ちされた。

「杉原さんのこと、信頼してるんだね。優しくて大人で…絶対に幸せになれるね」

「今も十分に幸せだよ。そんな彼だから、会わせたらきっと『良い人と出会えたね』って褒めてくれたと思う。結婚式だって出席して欲しかった。『おめでとう』って祝福して欲しかった。わたしのウェディングドレス姿、いけてるでしょって見せびらかしたかった。そしたら…」

 気づけば隣に座る彼女の頬は濡れ、顎からは雫がポタポタと絶えず零れ落ちていた。慌ててお絞りを差し出す。

「ごめんね、突然。あの子のことを思い出したら、つい。もう5年も経つんだよね。それでも、つい。昔と比べて、かなり涙もろくなっちゃったなあ」

 周囲の喧騒が一気に聞こえなくなった。彼女の言う“あの子”が誰なのか、俺にも分かっていた。かつてくだらない嫉妬をぶつけてしまった、強くも儚げな少女。急に口が苦くなった。ウーロンハイでも、きっとごまかせはしまい。

「ねぇ、塚本君。3年生の10月の終わり頃、病院に来たでしょ」

 グラスに伸ばしかけていた手を思わず止めた。訪問したことは、一人にしか話していない。その人物から聞いたとしても、何時のことかは知らないはずだ。

疑問の言葉を口にするまでもなく、彼女は肯定と受け取ったようだ。今一度、お絞りで目元を押さえてテーブルに置く。

「11月の半ばぐらいだったかな。やけに嬉しそうにしてて聞いてみたら、『前回起きた時、ずっと会いたかった人に会えた』って。それが誰なのかは教えてくれなかったけど、やっぱりそうなんだ」

 会って謝らなくては。ずっと思ってはいたのに、なかなか実行に移せないまま時は流れ。謝るべき相手、永峰珠結が入院して1年近くが経っていた。その間そして先日とうとう彼女が退学したと知ると、いてもたってもいられなくなった。

 ベッドの上の彼女は、穏やかな寝息を立てていた。サイドボードには卓上カレンダーが置かれ、カレンダーの日付には多くの×印が書かれている。ただ1箇所、9日前の日付だけは丸印で囲まれていた。

ああ、俺は何て馬鹿なのだろう。彼女はもはや眠っているのが常態になっていて、友人が来ても目を覚まさないと噂で聞いていたのに。どうして俺は起きている彼女に会えるものだと決め込んでいたのだろうか。

 異様に白い肌と消え入りそうなほどに弱弱しい呼吸音。知らなかったとは言え、かつての俺は彼女になんてひどい言葉をぶつけたのだろうか。後悔と羞恥で顔から火が出そうだった。

 しばし待ってみても彼女に変化がないのにホッとする自分もいて、反吐が出た。今度はいつ来ようか、同級生とバッタリ出くわさなければいいなと踵を返した所で「塚本君?」と声がした。

まさか、と振り返れば、永峰さんはヨロヨロと起き上がりながら、目はじっと俺を見つめていた。驚きで魚のように口をパクパクさせる間抜けな俺に、彼女は穏やかに笑いかけたのだった。

「それでどうしたの?」

「とにかく土下座して謝った」

「あ~、そんなトコかと思ってた。さすが塚本くん、期待を裏切らない」

「…俺のイメージって、そんな残念なの?」

 杉原さんはニコニコと微笑むだけで、情けないやらみじめやらでウーロンハイの残りを喉に流し込む。カランと氷が鳴った。杉原さんはウンウン頷き、取り分けたシーザーサラダを差し出して俺の肩をポンと叩いた。

却って空しさが募って、男泣きに咽びたいと久々に思った。生きるのは山あり谷あり、こんなものは軽く躓いた程度だ、…うん。