彼女に再会したのは、本当に偶然だった。

「あれ、もしかして塚本君?」

 仕事からの帰り道。振り返ると、見知らぬスーツ姿の女性が微笑んでいた。見たところ同年代か、一つ二つか年下か。

俺の名前を知っているからには、キャッチや怪しい商法の類ではないだろう。だが生憎、記憶を洗ってみても全くピンとこない。失礼を承知で、尋ね返す。

「あの、どなたですか」

「やっぱり、分からないかぁ。ほら、同じ高校で同級生だった、杉原。杉原里紗だよ!」

 やや幼さの残る顔立ちに、人懐っこさを窺わせる高くて朗らかな声。ああ、と俺はやっと合点がついた。

彼女に最後に会ったのは5年前、互いにまだ学生だった。目の前の彼女は、自分と同じく社会人のオーラを纏っている。

「全然気づかなかったよ。なんていうか、その。大人っぽくなってるから。昔とイメージが違ってたし」

「うんうん。久しぶりに会う友達とかは、皆そう言うんだ。仕事柄、女だからとか舐められやすいと困るから、メイクや服装で色々頑張ってるの。それでやっと、年相応に追い付いたんだよ」

「へぇ、女性って大変なんだね。今の杉原さん、可愛いっていうより綺麗ってのが、しっくりくる」

 お世辞なんかではなく、本当にそう思った。女性は化粧一つで変幻自在に化ける。セクハラだろうかと、一瞬頭をよぎったが杉原さんは口元を三日月形に緩めた。

「ふふ。ありがとう。でもすっぴんとギャップがありすぎって驚かれるのが、ちょっと複雑なんだよね~。塚本くんは今、帰るとこ?」

「うん、そう。でもまだ早いから、どっかで軽く飲んでこうかなって思ってた」

「じゃあ、わたしもご一緒していい? 良い店知ってるんだ! ここからそんなに遠くないの」

 出張でこの地を訪れ、取引先から宿泊先のホテルに戻るところだった。地元の小さな町から遠く離れたこの街で、同郷かつ出身校の同じ人間に出会うなど思いもしていなかった。

そして、まさかのお誘い。高校時代は数度言葉を交わしたことのあるぐらいの間柄だった。何となくだが遠くから怖い顔で睨まれたり、声に険が含まれていたりした気がする。

 このように親しく言葉を交わすのは、最後に会ったあの日が初めてだった。彼女はどういうつもりで、関係の薄い俺を飲みに誘うのだろう。まさか顔見知りの人間なら、誰にでもこうなのだろうか。

「こんな偶然、滅多に無いし話したいこともあるし…。ダメかなぁ?」

 上目遣いで懇願され、心がくらりと揺らいで慌てて頭を振る。ああもう、これだから女性の武器は恐ろしい。ついつい、ときめいてしまう。

これは決して下心があるせいではない。男としての条件反射だ。断じて、白い目で見られるようなことは考えていない。

 今日訪問した会社の担当者は、とにかく態度が悪かった。こちらが若造だからと、やけに上から目線で突っかかってきた。何度、握り締めた拳を机の下で押さえつけたか分からない。

今夜はとにかく飲みたかった。そして誰でもいいから話すことで、鬱憤を晴らしたくて悶々としていた。気の知れた友人となら、勢いに任せて酔いつぶれたり管を巻いて荒れたりするかもしれない。

彼女とならセーブがきいて、明日に支障が出ない飲み方ができるだろう。下品なネタや愚痴の類は封印だが、たまには紳士な宴も悪くは無い。第一、俺は深い間柄でもない彼女と一緒にいても苦痛に思っていなかった。

 是の返事をすれば杉原さんは子犬のように目をキラキラさせてガッツポーズをした。その子供っぽい所作を見て、中身は変わっていないようだと笑みがこぼれる。

 数分歩いて薦められた居酒屋の暖簾を潜って適当につまみを頼む。待つ間、店内を見回す。質素ながらも店や店員、客達の雰囲気は悪くない。それぞれが注文した生ビールが来たところで乾杯する。

付け合わせの枝豆は塩と茹で加減が絶妙で、運ばれてくる他の料理も味付けが格別だった。なるほど、彼女がお気に入りだと豪語する理由が分かった。

 それから卒業後の進路や仕事先、近況についての他愛もない話をする。話が弾んで箸も進み、杉原さんは意外といける口らしく俺が1杯目を飲み干す頃には既に3杯目に突入していた。

「杉原さんって、意外と飲める人なんだね」

「ふふ、何でもいけるクチだよ。それ、旦那様にも言われた」

「おっ、結婚してるんだ?」

「うん、式は一週間前に上げたの。その証拠が…じゃじゃーん!!」

 翳された杉原さんの左手の薬指には、シルバーの指輪が輝きを放っている。

「新婚さんなんだ、おめでとー。旦那さん、どんな人?」

「3つ年上の、同じ会社の先輩なの。仕事ができて優しくて頼りがいのあって、わたしを大切にしてくれる、世界でいっちばん格好良くて素敵な…大好きな人!! 仕事もね、続けていいって言ってくれたの~。理解力もあってね―――」

 盛大なのろけをご馳走様。飲むスピードだけでなく、沈むのも早い質なのかもしれない。頬を上気させ、トロンとした目でふにゃりと笑っている。

幸せなんだなと苦笑しつつ、2杯目のジョッキを一気に傾けて飲み干した。ウーロンハイを注文して、メニューを戻す。