月の恋人



陽菜ちゃんを、憎らしいと思うようになったのも、このときからだった。




同じ時期に教室に通い始めたのに

陽菜ちゃんだって、俺と同じくらい上手く弾けたのに。


彼女は、びっくりするほど、ピアノに執着しなかった。




母親が音大を出ていて

家にはグランドピアノがあって

音楽に理解があって

練習時間も制限されない。




望めば全てを手に入れられる、恵まれた環境にいながら



「だって、翔くんのを聴いてるほうが楽しいもん」と俺に言って

陽菜ちゃんは、あっさりと、教室をやめてしまった。




その

あまりにも素直な
あまりにも罪のない笑顔が


眩しい反面、

猛烈に憎らしかったのも事実だ。





俺がどんなに望んでも得られない環境を手にしながら


「だって翔くんの方が上手だもん」と

アッサリ諦めてしまえる陽菜ちゃんが




どうしようもなく憎らしかった。






―…うらやましかったのかも、しれない。