「父さん、孝輔はそんなにヤワではないよ。飯が終われば弾いてくれるさ。
なあ、孝輔。」
バイオリンを弾く事は、孝輔にとっても気晴らしになるかもしれない、と思った大輔は孝輔の代わりに声を出した。
が、孝輔は躊躇した顔をしている。
半月以上もまともにバイオリンを持っていない真面目な性格の孝輔には、自信が無かったのだ。
「ほら、和ちゃんが大好きだと言って何度も弾かされた、あのマドンナの何とか言うの、あれなら皆好きだよ。
ねえ、ばあちゃん。」
大輔は孝輔が断われないような雰囲気を作っている。
そう、いきなりのアイデアだったが、無性に孝輔にバイオリンを弾かせたかった。
バイオリンを弾けば、少しでも孝輔が元気になるような気持ちだった。
「ああ、和也が誕生日だからプレゼントに弾いてくれ、と言って何度もやったやつだね。私もあれは大好きだよ。」
それは… 去年の三月、まだ巷では千草の醜聞が残っていた頃で、野崎の家は静かだった。
そんな時にひょっこり和也が顔を出し、僕の誕生日のお祝いをして、といきなり言い出し、プレゼントの注文をした。
その時、孝輔に与えられたのがサンサーンスの【聖母の宝石】というバイオリン曲で、それを弾いてくれと言うものだった。
それは短いがきれいな曲だった。
が、並で無い和也のこと、大好き、とか、孝ちゃんは天才だ、と言いながら何度も弾くようにせがみ、最後にはその場にいたものが大笑いしたことがあった。
孝輔もその時の事を思い出していた。
あの曲なら… あの時だって別に練習して弾いたわけではなかった。
和ちゃんに何度もルクエストされて、苦笑して弾いていたが…
後で思えば楽しかった。
そう、あの時は自分の演奏に皆が楽しんでくれていた。
弾いてみたい… 思い出しているとどこからかそんな気持が湧いて来た。
これから先、どんな事になるか分らないから不安だが、今は…
そう思った孝輔は朝子を見た。

