「ああ、はい、坂上さんですね。覚えていますよ。」
大輔は慌てて体裁を取り繕った。
「あの… もう一人の野崎さんはお元気ですか。あれ以来姿が見えないので…
あの時の怪我がひどかったのでは、と心配になりました。
今日は休校日で、前のデパートで買い物をして外に出るとあなたが見えましたので、
ちょっと伺おうと思いました。」
実はこの春香、一年の時から孝輔を意識していた。
毎朝同じ電車で通っている、
バイオリンのケースを大切そうに抱えて立っている孝輔に興味を持っていた。
誰とも話す素振りは無く、黙って窓の外に目をやっているおとなしそうな少年.
目が放せなかった。
春香が何故知立まで通っているかと言えば…
春香は能見町にある神明宮の神主の養女として二年前に岡崎に来た。
いつかはその神主の跡を継ぐために、今は知立にある女子高、そこに神道課があり、
まずは巫女の勉強をしていた。
だから興味を持った異性とどうのこうのは考えてはいなかったが、
所詮若い娘、毎日見ている内に好意を持っていた。
いや、顔を見ることが出来るだけで嬉しかった。
それが自分のためにあんな事に… 分かれる時は笑って見送ってくれたと言うのに、
あれ以来姿が見えない。
こういうことは自分のスタイルではないが… 思い切って声を掛けたのだった。
この人が剣道をしている双子の兄弟で、
助けに入ってくれた方の人と言う事はすぐに分かった。
「ああ、孝輔は… 一週間ほど学校を休んで、あ、気にしないでください。
うちは年寄りが二人もいますから…
名古屋まで通うのはしばらく休んだほうが良い、などと言い出したから。
今は通っていますけど… 不規則な時間に通っているのですよ。」
「あの怪我が原因ですか。」

