野崎組は終戦直後から同じ場所でとび職として名を馳せた、野崎源次郎が一代で作り上げた組だった。
そして50年近く前、名前だけ残してさっさとつぶした曰く付きの組だ。
それを20年前、源次郎の娘・本田道子が、偶然にもとび職人になっていた甥の孝太に、源次郎の面影を見た、と言って同じ場所に野崎組を再建した。
一言で言えばそうなる。
当時53歳の道子は実業家になっていた兄を動かして、自分の夢、野崎組再興、を甥の孝太に託した。
孝太は別になりたくてなったとび職人ではなかった。
生活にだらしなかった母が父親も分からずに生んだ子が孝太。
ちょうど大学入試を控えた頃、無責任な母親が、ふしだらな生活の挙句に脳梗塞にかかり…
いつまでも祖父母に甘えて入られない、と言う思いで職探しをしたが時期が悪く…
そして祖父が口を利いてくれたのがとび職だった。
しかし、25歳の時に頼りにしていた祖父が死に、27歳で愛を感じる女性と出合い、諦めていた結婚をした。
しかし後遺症の残る体の不自由な母と、祖母を抱えて安城での借家暮らしはうまく行くはずもなかった。
一年もしない内に妻の小夜子から、稼ぎが少ないと罵られるようになり、小夜子は生まれたばかりの和也を連れて実家へ戻ってしまった。
それから半年後、ある事件に巻き込まれた小夜子の変死体が発見され… いろいろあったが、孝太は道子の尽力で息子・和也の親として暮らせるようになった。