アリスズc


 翌朝、ハレが目を覚ました時にはもう、コーはいなかった。

 また、飛んで行ってしまったのだろう。

 枕元に落ちる一筋の白い髪を拾い上げ、そっと口づけた後に彼は身を起こした。

 心の底から幸せな気だるい朝だが、ゆっくりと横になっていることは出来ない。

 今朝は、予定が入っていた。

 学術都市の打ち合わせに、ホックスが来ることになっていたのだ。

 身支度や朝食を済ませ、隣の執務室に入る。

 ノッカーが鳴り、側仕えがホックスの到来を告げた。

 入って来た彼は。

「おはようございます、殿下」

 まったくいつも通りの、静かな挨拶を投げかけてくる。

「あ、ああ……おはよう」

 だが。

 ハレの目は、そんなホックスの顔に注がれていた。

 何というか。

 ひどい有様だった。

 右の頬は、相当強い力ではたかれたと思われ、手形の形に内出血をしているし、左の頬には四本のひっかき傷が、縦に走っていたのだ。

 誰かと、取っ組み合いのケンカでもしたのだろうか。

 だが、彼がそんなことをするとも思いがたく、黙ったままただじっとその顔を見ていると、きまりの悪そうな表情を浮かべながらも、手に持ってきた多くの資料をテーブルに置いた。

「この顔では……仕事に障りますか?」

 さすがに視線に耐えられなくなったのか、ホックスが音をあげる。

「そうだね、気になるという意味では障るのかもしれない」

 そんな彼の表情に、ふっと微笑んでしまった。

 少なくとも、深刻なことではなさそうだ。

「……求婚の順序を間違っただけです」

 その言葉の直後。

 ハレの脳裏に、ある女性が思い浮かんだ。

 親にも叩かれたことのないようなホックスを、初めてひっぱたいた彼女を。

「そうか……おめでとう」

 こみ上げる強い笑いを我慢しつつ、ようやくハレはその一言を告げることに成功したのだった。