アリスズc


 武の賢者は。

 妻の帰還を待っていた。

 ヤイクの回した荷馬車が賢者宅に入った時、先触れを出してくれていたのか、彼は玄関の前に立っていた。

 エンチェルクには、決して手に入らない、鍛え抜かれた肉体を持つ男。

 キクが、彼の前に立ち。

「遅くなった…」

 見上げながら、そう夫に言葉をかける。

 どんな表情をしているのか、エンチェルクには見えなかった。

「ああ…無事で何よりだ」

 目を細める賢者は、剛の剣を振るうものには思えない穏やかさがある。

「ロジア、赤ん坊を見せてやってくれ」

 キクが振り返って、彼女を呼ぶ。

 乳の時以外は、本当にずっと彼女が抱いていた。

 近づく彼女の容姿など、賢者の目には入っていない。

 見つめているのは、その腕の中。

「ジロウですわ」

 ロジアが、眠る赤子を見せる。

「ああ、いや…それは」

 キクが、少し困ったように説明しようとする。

 彼女は、仮の名としてつけたと言っていたが、いつの間にか周囲に定着してしまっていた。

「ジロウを、抱いてもいいか?」

 そしてまた、彼も異論をはさまない。

「首はすわってるから大丈夫だ」

 自分の夫のおおらかさに、キクは苦笑で答える。

 ロジアは、ジロウに固執はしているが、キクが本当の母であることをないがしろにはしなかった。

 日々、彼女が荷馬車の中で、小さな赤子に乳をやる姿を見ていたせいか。

 だから。

 父である賢者に、ちゃんとジロウを差し出した。

 大きな大きな手が。

 小さな小さな身体を抱く。

「よく来たな、ジロウ」

 呼びかける低い声。

 この子の名は──ジロウとなった。