アリスズc


 いるはずの男が、いなかった。

 オリフレアの悲劇の原因は、そこだった。

 もしあの男がいれば、ここまで彼女に危険が迫ることはなかっただろう。

 彼女が、誰もいなくなった屋敷を心配して、ハレに頼んだのだ。

「近いうちに肌の黒い男が帰ってくるから、こっちにいるって伝えて欲しいの」、と。

 殺された者の弔いや、後片付けを領主が引き受けてくれた。

 これ以上のトラブルを起こさないためには、最善の策だろう。

 だから、ハレはオリフレアの伝言を領主に託したのだ。

 肌の黒い男。

 彼の感覚が正しければ、オリフレアの父である男。

 彼が旅から戻って、この屋敷を見た時。

 どう思うのだろうか。

 それは──遠からず分かることとなった。

 スコールの来た日。

 ひどい雨がやみ、静寂に包まれた真夜中。

 硝子が、叩き割られる音がした。

 皆が、飛び起きた。

 音のした二階で、唯一誰も出てこなかったのが、オリフレアの部屋だった。

 みなが彼女の部屋に駆けつけ、その扉を開くと。

 ずぶ濡れの、マントのままの男が。

 茫然としたベッドの上のオリフレアを──抱きしめていた。

 飛び出そうとするテルを、ハレは制した。

 光で、分かった。

「彼女の…父親だ」

 ちいさくちいさく。

 隣にいるテルにしか聞こえないほど顔を寄せて、ハレは囁く。

 言わなければ、弟が自分を止めることが出来ないだろうと思ったのだ。

「何をしているの…離しなさい」

 オリフレアの命令に、男はすんなりと手を離した。

 燭台の光に照らされる、傷だらけの顔は、すぐに濡れたマントのフードの中へと消える。

 それきり。

 二度と、オリフレアに触れることはなかった。

 彼の愛した女は、既にこの世にはいない。

 愛した女の産んだ娘が、危険な目にあったと聞いて。

 この男でさえも、冷静ではいられなかったのだと、痛いほど伝わってきた真夜中の出来事だった。